折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

夕焼け強化月間(準備期間)  By空倶楽部

2024-10-29 | 三国港 エッセル堤

毎年11月は夕焼け強化月間と決めている。

理由は二つあって、まずは「空倶楽部」の11月のお題が「夕焼け空」であること。

そして、もうひとつは北陸の天候。

北陸の気候は冬に向かうにしたがって、雨から雪の日が多くなり

どうかすると一週間以上も太陽を見ない日も続いたりもする。

なので、この時期に夕日を撮りだめしておこうと思うのだ。

ということで、準備期間の一枚は三国港エッセル堤にて。

エッセル堤とその先の新堤は渚から外海に向かって

大きくアーチ状に張り出している。

距離にして約1キロの堤は防砂、防波の役割を担い、

外海から守られた三国港はいつも穏やかな表情を見せてくれる。

この日、天気が良すぎたせいか夕焼けそのものは期待したほどでもなかったが

日没直後の水面。一瞬染まった空の色を映す夕映えに目を見張った。

 

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

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三国港 2024秋 By空俱楽部

2024-10-19 | 三国港 エッセル堤

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


空写真に困ったときは迷わず空撮り基地のひとつ、

夕刻の三国港をめざす。

残暑が長引いてヤキモキした向きも多かったと思うが、

なんとなくでも、深まった秋の気分を共有していただけたなら幸いだ。

話は変わるが、県をまたいだ三国へは金沢の自宅から距離にして70キロ。

片道1時間半の道のりだ。

そこへ週末の晴れ間を目がけて向かうのだが、

土曜日ではなく日曜日に出かけることが多い。

サラリーマンの方ならご理解いただけると思うが

徐々に厭世気分が高まる時間帯にあえて長距離をおして向かうのだ。

家内など「また?今から!」などと半ばあきれ顔だ。

自分でもその理由はうまく説明できないのだが...

     

頬に海風を受けながら、穏やかな日没を待つ。

そんな時間が新しい週に向かう気持ちに活力を与えてくれるのかもしれない、と

思ってみたりもする。

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インスタレーション

2024-10-11 | オトナの遠足

国立新美術館での一コマ。

インスタレーションという芸術の表現手法があるという。

門外漢の理解だが、

空間全体が作品であり、鑑賞者は個々の作品を鑑賞するというより

作品に囲まれた空間そのものを芸術作品として体験する、ことではないかと思っている。

感覚的なものだから写真では表現できないのだが

インスタレーションとして感じたものにカメラを向けてみようと思った。

設計者の黒川紀章氏が意識したかどうかはわからないが

館内のあちこちで、建物の造作はもちろん調度であっても人であっても

瞬間を繋ぎとめるとその空間には芸術性があるように思えてくる。

「ここにこんな景色があった」

「あそこからはどんなふうに見えるのだろうか」

と館内を巡りながら、

インスタレーションとはこのような感覚を楽しむことなのかな

と思いつつファインダーをのぞき込んでいたのである。

 

 

 

 

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秋の気配  By空俱楽部

2024-10-09 | 三国港 エッセル堤

夏を引きずった今年の秋も10月に入った途端、

まるで一気に遅れを取り戻すように高い空が広がり始めた。

ところが今回の空倶楽部。

空が最も美しい季節のはずが、急な季節の進行に着いていけず

相応しい空写真が撮れていない。

とは言え、絶好の空をスルーするのも惜しい。

それで、昨年訪れた三国港の空を蔵出しすることで無理やり参加。

なので「秋の気配」とタイトルをつけたものの実は後ろめたい気持ちもちょっぴりある。

海を見下ろす小高い丘から三国の町と港を展望。

当ブログで紹介することの多いエッセル堤も

いつもとは違う雰囲気で眺めることができるし

潮の流れやエッセル堤の防潮効果も確認できる。

 

そして、その小高い丘に建つのがこの建物。

龍翔博物館といって地元坂井市の歴史や文化を紹介しているのだが

この特徴的な外観デザインはかつてこの地にあった旧龍翔小学校の外観を踏襲したものだとか。

ちなみに龍翔小学校の設計もエッセル(エッセル堤の設計者)である。

さらにウンチクを重ねるなら、「だまし絵」で有名な画家エッシャーの

オランダ語読みはエッセルで設計者の息子だそうだ。

 

さて。

今日は月一度のお題の日で「鉄塔のある空」

火力発電所の煙突に4基の風力発電機。

さらに送電塔が2本。

「どうだ!」と言いたいところだが...。

これまた「蔵出し」。後ろめたくもクリア。

 

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 

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もうひとつのおわら風の盆 3

2024-10-04 | おわら風の盆・八尾

おわら風の盆に通いだしてやがて20年になる。

種明かしをすれば、風の盆で過ごす時間の大半は仕事がらみ。

ふだんからお世話になっている方たちを案内し

特別な体験として心に留めていただいているのだ。

一方で私自身が魅了されていることも事実で

役得とばかりにおわらの様子をカメラに納め

折々に当ブログでも紹介してきた。

しかし、それもふだんのおわらに限ったこと。

深夜のおわらまでは見たことがなかった。

案内した方たちを送り届けるのも仕事のうちで

深夜まで八尾に留まることができなかったからだ。

言葉が過ぎるかもしれないが、

観光客向けにアレンジされたおわらを見ていただけだったかもしれないのだ。

     

その深夜のおわらをようやくにして見ることができた。

その様子。若い踊り手たちの盛り立て役だった地方(じかた)の人たちが

踊り手たちを引き連れて町中を流す姿に

年配の女性たちの円熟した踊りの様子を

「もうひとつのおわら」として紹介してきた。

けれども彼らだけが主役だったわけでもない。

 

大方の観光客が去り、人通りが少なくなった通り。

菅笠を外し、素に戻って踊る若い踊り手たちがいた。

「見られている」という気負いも消え、素直に踊りを楽しんでいると

微笑ましく眺め、カメラに納めた。

       

そして、思った。

老いも若きもなく、町中の人たちがおわらを楽しむ姿。

それが「深夜のおわらはいい」と言われる所以だったかもしれないと。

 

さて。

前の稿で五木寛之の小説『風の柩』を読んで

勝手に創り出した深夜のおわらの風景のことを書いた。

それは闇の中から踊り手たちが現れる幻想的ともいえるもので

もちろんそんな風景に出会うことなどなかったのだが

代わりに、往来の真ん中でたむろする彼女たちがこんな風景を作ってくれた。

     

暗闇の中で映える彼女たちの姿に惹かれはしたが、

小説の世界とのギャップに「現実はこんなものかな」と苦笑しつつ、

彼女たちの作ってくれた風景をありがたく頂戴した次第だ。 

 

この稿終わり。

 

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