スキーの帰りは、いつも寄り道をします。せっかく信州方面に行ったので、今一番トレンドな上田城に立ち寄ることにしました。上田城には8年ほど前に行ったことがあるのですが、今回は想像した通り、たくさんの人で賑わっていました。さすが、大河ドラマの効果ですね。
(西櫓)
上田城は、真田幸村(信繁)の父、昌幸により築城されたお城です。実際に合戦もあったお城で、1600年には徳川の大軍を撃退したことでも有名です。幸村ばかりが注目されていますが、父親の昌幸もなかなかの武将だったようですよ。(大河ドラマでは草刈正雄が演じています)
(西櫓)
城に上って見ると、南側は石垣と崖でできています。当時は千曲川が流れていたようで、天然の堀になっていました。今見る上田城は、後に江戸時代になって作りかえられたものなので、当時もりっぱな石垣があったかは分かりませんが、確かに攻めるのが難しそうなお城に感じました。
(崖と川で守る:道の所が川だった)
(上から見ると)
今はいくつかの櫓と櫓門が残るのみですが、天守閣は当時からなかったようです。
(東虎口櫓門)
ブラタモリでも紹介されていた崖も見てきました。
(尼ヶ淵の崖)
上田城は、徳川からは憎き城であったので、関ヶ原のあと城は破却されたそうです。その後、仙石氏により再建されて現在のような上田城になったようです。
徳川の軍勢と2度にわたり戦い、最後は破却されという歴史は、大阪城も同じですね。そこに真田幸村がいたというのも歴史のおもしろいところです。
(西櫓)
上田城は、真田幸村(信繁)の父、昌幸により築城されたお城です。実際に合戦もあったお城で、1600年には徳川の大軍を撃退したことでも有名です。幸村ばかりが注目されていますが、父親の昌幸もなかなかの武将だったようですよ。(大河ドラマでは草刈正雄が演じています)
(西櫓)
城に上って見ると、南側は石垣と崖でできています。当時は千曲川が流れていたようで、天然の堀になっていました。今見る上田城は、後に江戸時代になって作りかえられたものなので、当時もりっぱな石垣があったかは分かりませんが、確かに攻めるのが難しそうなお城に感じました。
(崖と川で守る:道の所が川だった)
(上から見ると)
今はいくつかの櫓と櫓門が残るのみですが、天守閣は当時からなかったようです。
(東虎口櫓門)
ブラタモリでも紹介されていた崖も見てきました。
(尼ヶ淵の崖)
上田城は、徳川からは憎き城であったので、関ヶ原のあと城は破却されたそうです。その後、仙石氏により再建されて現在のような上田城になったようです。
徳川の軍勢と2度にわたり戦い、最後は破却されという歴史は、大阪城も同じですね。そこに真田幸村がいたというのも歴史のおもしろいところです。