竹内街道(たけのうちかいどう)は、大阪と奈良を結ぶ古くからの街道です。奈良といっても、当時の都は飛鳥にあったので、難波と飛鳥を結ぶ街道ということになります。『日本書紀』には613年に「難波より京に至る大道(おおじ)を置く」と記され、日本最古の官道と考えられています。現在、大阪から飛鳥に行く最短道路は、南阪奈道路ですが、この高速道路の県境トンネルの上を竹内街道が通っています。

今回は、全行程を歩かずにスポット的に巡ってみました。竹内街道の大阪側の町は太子町です。名前からもわかるように聖徳太子ゆかりの町です。聖徳太子が眠る叡福寺をはじめ、敏達、用明、推古陵など「王陵の谷」と呼ばれるほど古墳が多くあるところです。

旧街道はしっかりと整備されているようでした。街道沿いの家並みも街道ならではの雰囲気を残していました。

この道を古代、遣隋使や隋からの使者が通って行ったのでしょうか。

道の途中に大道旧山本家住宅がありました。「大道」というのは、ここが『日本書紀』に記された「大道」の名残なのでしょうか。この住宅は、茅葺きの古民家で大和棟の形式をよく残していることで有名です。

茅葺きの家も2軒だけだそうです。手入れが大変ですよね。

もう少し行くと、二上山登山口がありました。そこに立つ石仏です。

左の道を登っていくと、急な上り坂がつづき二上山の雌岳に通じる道のようでした。傾斜がきつくて街道とは言えないような道でした。

もう一度、登山口にもどり、国道に沿って登ります。やがて県境が見えてきました。ここが竹内峠で竹内街道の名前の由来となったところです。

竹内峠を越えて奈良県葛城市竹内にやってきました。国道からいきなり旧街道に入ります。

ここ竹内も古い家並みがつづいています。実は我が司馬遼太郎さんは、幼少期をここで過ごしているのですよ。我が芭蕉さんもここに滞在していました。

柿の木と旧家の向こうには葛城山が見えました。近くには当麻寺や石光寺もあります。

竹内は、昔懐かしい風情があるところでした。

大阪・太子町から奈良・葛城市竹内へと竹内街道をぶらりとしましたが、歴史の深さを感じる街道旅でした。
※大阪の太子町あたりはぶどうの生産地なんですよ。河内ワインのふるさとです。道の駅で買ったぶどうです。


今回は、全行程を歩かずにスポット的に巡ってみました。竹内街道の大阪側の町は太子町です。名前からもわかるように聖徳太子ゆかりの町です。聖徳太子が眠る叡福寺をはじめ、敏達、用明、推古陵など「王陵の谷」と呼ばれるほど古墳が多くあるところです。

旧街道はしっかりと整備されているようでした。街道沿いの家並みも街道ならではの雰囲気を残していました。

この道を古代、遣隋使や隋からの使者が通って行ったのでしょうか。

道の途中に大道旧山本家住宅がありました。「大道」というのは、ここが『日本書紀』に記された「大道」の名残なのでしょうか。この住宅は、茅葺きの古民家で大和棟の形式をよく残していることで有名です。

茅葺きの家も2軒だけだそうです。手入れが大変ですよね。

もう少し行くと、二上山登山口がありました。そこに立つ石仏です。

左の道を登っていくと、急な上り坂がつづき二上山の雌岳に通じる道のようでした。傾斜がきつくて街道とは言えないような道でした。

もう一度、登山口にもどり、国道に沿って登ります。やがて県境が見えてきました。ここが竹内峠で竹内街道の名前の由来となったところです。

竹内峠を越えて奈良県葛城市竹内にやってきました。国道からいきなり旧街道に入ります。

ここ竹内も古い家並みがつづいています。実は我が司馬遼太郎さんは、幼少期をここで過ごしているのですよ。我が芭蕉さんもここに滞在していました。

柿の木と旧家の向こうには葛城山が見えました。近くには当麻寺や石光寺もあります。

竹内は、昔懐かしい風情があるところでした。

大阪・太子町から奈良・葛城市竹内へと竹内街道をぶらりとしましたが、歴史の深さを感じる街道旅でした。
※大阪の太子町あたりはぶどうの生産地なんですよ。河内ワインのふるさとです。道の駅で買ったぶどうです。
