はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

安土城跡を歩きました(前編)

2018-12-15 17:32:55 | 知らない街をぶらり
安土城は織田信長が天下統一をめざして1579年に安土山に築城した平山城です。織田信長の名前は、歴史ファンでなくてもご存知の方は多いと思います。安土城の名前も聞いたことはあると思いますが、実際に行ったことのある人は少ないと思います。私もその一人で、今回初めて安土城を訪れました。(近くまでは何度も行っていたのですがお城の中に入ったのは初めてです。)
安土城は、大坂城や姫路城のように天守閣があるお城ではありません。ただ石垣が残っているだけのお城です。



実はこの石垣に意味があるのです。今ではお城といえば、大阪城のように石垣で囲まれたイメージですが、信長の頃の城といえば土を固めた土塁がほとんどでした。それを本格的な石垣の城に変えたのも信長の独創性でしょう。(近くにある六角氏の観音寺城を参考にしたともいわれています。)



石垣の積み方にも名前があるのですが、私には分かりません。近江には石積みのプロ集団の穴太衆がいて、ここでも活躍したことでしょう。



大手門跡に受付があり700円(高い!)を払って中に入ります。まっすぐに石段の大手道がのびています。



この左側の辺りには、秀吉邸があったと考えられています。秀吉もここに住んでいたのでしょうか。でも、戦が忙しくてゆっくりしている暇はなかったと思います。



大手道の右側には摠見寺仮本堂があります。ここは徳川家康邸跡と伝えられています。



少し登ったところから振り返ると、東海道本線が見えました。



写真には写っていませんが、この時は雨が降っていました。石段も滑りやすいので慎重に登ります。



真っ直ぐな大手道からややカーブしながら石段を登って行きます。普通お城といえば、枡形があったり複雑な構造になっていて、敵が攻め込みにくくしてあるのですが、安土城はそうではありませんでした。安土城は、守るための城ではなく、見せるためのお城だったというのが良く分かります。



石段を登っていると、あちらこちらに石仏がありました。(掲示してあります。)いかにも神仏を畏れない信長らしい話と思うのですが、石仏や墓石は他のお城にも使われているようです。急いで石を集める必要から何でもかんでもお構いなしだったのでしょう。



湖東三山に紅葉で有名な百済寺がありますが、信長はここを焼き討ちして、石垣をひっぺがして安土城に運んだそうです。(百済寺も石垣で護られた寺院だったようです。)



雨が止んで、突然、日がさしてきました。黒金門跡が見えてきたようです。今回はここまでにします。



<つづきます>

※訪問日 2018.12.14