はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

安曇野カメラ散歩(その2)

2016-04-14 08:47:07 | カメラ紀行
安曇野から一番よく見える山が常念岳(じょうねんだけ)です。その常念岳をバックに田園風景が広がる情景は、安曇野の代表的な風景になっています。

 (常念岳と桜)

今回は、錫杖さんにならって「桜と道祖神そして常念岳」という景色に出会えるところを訪ねました。

 (この景色です)

 (常念道祖神)

 (ラブラブです)

道祖神は、悪霊や疫病などの邪悪なものが集落に入ってこないように、辻村境や峠などに祀られてきたのが始まりと言われています。
道祖神は、我が芭蕉さん『おくのほそ道』序文にも登場します。「…道祖神のまねきにあひて…(道祖神が旅に出て来いと招いている)」というくだりです。
ところで、安曇野には500体を超える道祖神があるそうです。道祖神巡りもおもしろそうですね。

 (常念、桜、道祖神)

実は、7年前の2011年4月11日にも同じようなところを訪ねていました。その時は、はじめてデジタル一眼レフカメラを買ったばかりで、常念岳と桜を写しに来たのだと思います。ちなみに高速道路が千円で走れました。(もう1回お願いしたいものです)

ここは、安曇野の堀金(ほりがね)というところです。堀金には、菜の花畑もあるということなので行ってみることにしました。

 (常念と菜の花)



ところで、常念岳の右手にもう一つ雪をかぶった山がありますが、横道岳(よこどおしだけ)という山です。常念岳と横通岳の間にあるコルには常念小屋があり、槍ヶ岳が目の前に見えます。

菜の花畑の横に、鯉のぼりが泳いでいました。
どこを見ても春がいっぱいという感じです。

 (常念と鯉のぼり)

次は、大王わさび農場に向かいましょう。

<つづく>


安曇野カメラ散歩(その1)

2016-04-13 11:17:21 | カメラ紀行
いつも愛読しているブログに、「錫杖流山歩き」があります。山や花の写真を中心に、いつもすばらしい景色を見せてもらっています。この何日かは、安曇野のすばらしい風景シリーズでした。そのすばらしさに、我慢しきれずに、(4月12日に)私も安曇野に行ってしまいました。
安曇野では、錫杖さんと同じようなところを撮影しましたが、(まったく同じ構図で撮ってみましたが)やはり腕の差が出てしまいます。
写真はともかくとして、天気もよく、山や桜を楽しむことができました。行って良かったです。感謝です!

夜通し車を走らせて(SAで仮眠しましたが…)、明け方に、はじめの目的地、高瀬川に架かる橋に着きました。この橋は、夏に黒部のイワナ釣りに行く時に通っている橋ですが、いつもは夜中に通過するので景色はわかりませんでした。つくづく見ると、本当に山のすばらしい景色が見られる場所です。

 (夜明けのアルプス) 

寒い朝でした。車の温度計はマイナス3度を示していました。5時30分、だんだんと明るくなってきました。そして、アルプスが山頂の方から輝き出します。
左の山は蓮華岳、中央奥に見えるのが岩小屋沢岳、その右が爺ヶ岳で、さらに鹿島槍ヶ岳、一番右が五竜岳です。どの山も、思い出の山々です。

 (日の出の時) 

見上げていた山とは反対の後ろから日が昇ってきます。
それにしても、この時期に竿を持たずに河原に佇んでいるとは、我ながら不思議です。
竿の代わりにカメラを持っていますが、今回はキヤノン7Dと最近購入した富士フイルムX-T10を持っていきました。(鹿島のアップ以外はすべてフジです。帰って見たらフジの方が美しく?写っていたので…)

 (朝日に輝く爺ヶ岳)

 (こちらは鹿島槍ヶ岳)

前日に雪が降ったのでしょう。真っ白な山肌を見ることができました。
それにしても寒いです。指の先が凍りそうです。
最後に、すっかりあかるくなったアルプスを写して次の目的地へ向かいました。

 

つづく





甲子園で一喜一憂する

2016-04-11 14:20:18 | 日記
10日の日曜は、甲子園球場に野球を見に行きました。我がタイガースと広島の対戦です。


阪神甲子園駅を降りれば、すでにそこはもう野球場です。(46,414人の入場だったそうです)




連れあいが広島ファンなので、三塁側のスタンドで応援です。といっても、まわりはほとんどタイガースファンです。
カーネルサンダースさんもタイガースファン?


さあ、試合が始まりました。タイガースの先発は藤川です。「たのむで、球児!」
と、思った瞬間にヒットとホームランで2点献上です。(今日も、あかんかな…)




レフトスタンドの真っ赤な広島ファンが喜びます。(うちの連れあいも…)



そして、3回ウラ、反撃の時がきました。スタンドも盛り上がります。


ヒットです。この回一挙に4点を入れて逆転です。六甲おろしの合唱です。








しかし、喜びもここまででした。
5回に藤川が打たれてノックアウトです。一挙に5点も献上しました。(やっぱり、あかんわ)


その後、日も陰り、照明に明かりがともります。寒い一日でしたが、試合も負けているので、よけいに寒さがこたえます。(ビールもすすみません)


とりあえず、風船とばしだけでも見て帰ることにしました。





結局、8対7でタイガースが負けました。それでも、最後は意地を見せたようですね。試合終了時間は、6時28分だそうで、4時間28分もかかったようです。長すぎますよ!3時間以内でやって欲しいものです。

次は、5月22日に行く予定ですが、今度は、「六甲おろし」を歌わせてもらいますよ。



郡山城趾のこと

2016-04-09 20:00:50 | 知らない街をぶらり
飯田線を旅した前日(4/5)のことですが、車で広島へ日帰りしました。
連れあいの母親が骨折をして入院したので、お見舞いに行ったのです。
病院は広島県の吉田町というところにあります。そこには、毛利元就の居城である郡山城があります。お見舞いに行ったついでに、その郡山城趾に行って来ました。


我が司馬遼太郎さんも、この町を訪ねています。『街道をゆく』<21>「芸備の道」に、吉田町のことが詳しく書かれています。
「安芸吉田の町に入って早々、宿には入らず、そのまま通りすぎて、町の北部に盛りあがっている郡山城趾に登ってみた。毛利元就の根拠地だったこの城山を、どこよりもまず知っておかないと吉田の町のなかにいる実感が湧きにくいとおもったのである。」


毛利元就は、この吉田のあたりの一領主にすぎなかったのですが、やがて中国地方を制した戦国大名です。その拠点となったのが、司馬さんも書かれているように、この郡山城でした。毛利元就は「三本の矢」の話でもよく知られていますね。「三人で力を合わせて、仲ようせにゃいけんよ。」とでも言ったのでしょうか?


孫の輝元の時代に居城が広島城に移りますが、しばらくは郡山城は存続していたそうです。


お城といっても、天守閣もなければ、石垣や堀もありません。江戸時代になってから廃城になり、すべて取り壊されたそうです。頂上に行けば、本丸跡があるらしいのですが、時間も無かったので、ふもとにある神社と公園を訪ねました。






毛利氏は関ヶ原の戦いの後、今の山口県に押し込まれてしまうのですが、天下をとるチャンスは十分あったと思います。もし、そうなっていれば広島が首都で、標準語は広島弁だったかもしれませんね。


そんな事を考えながら、長い帰路につきました。それにしても車で日帰り広島往復は疲れました。


青春18きっぷで飯田線の旅(その2)

2016-04-08 16:25:15 | 鉄道の旅
4月7日は雨でした。列車の旅なので雨でも濡れませんが、雄大な景色が見られません。まあ、鉛色の風景も雨ならではの景色ということで楽しみましょう。おかげで写真は霞んでいますが…。


豊橋発8時10分天竜峡行きの普通列車に乗るべく、豊橋駅に7時30分にやって来ました。


昨日、名鉄から降りたホームのとなりで目的の列車を待ちます。


ところが、ホームには何の印(乗車位置を示す)も無いので、どこで待てばいいのかわかりません。向かいのホームに停まっている列車のドアを目印に、待つことにしました。しかし、やって来たのは2ドアの列車です。(乗降客が少ないといえど、もう少しわかりやすくして欲しいものです)


もうひとつびっくりしたのは、名鉄から降りた人の群れが、おかまいなしに押し寄せて来ることです。(出口が前方の1ヶ所のみ)名鉄の乗降客に比べると、飯田線はかわいいものでした。

豊橋駅を出発時は、乗客はほぼ満員で、立っている人もいましたが、本長篠駅を出た頃には、高校生もいなくなり空席もありました。残っていたのは、私と同じ飯田線「乗り鉄」客ばかりのようでした。


やがて沿線の風景も飯田線らしくなってきました。桜も彩りを添えてくれます。


中部天竜に到着です。ここで、25分ほど停車します。こういうところが、実にのんびりとしています。


有名な「渡らずの鉄橋」を渡る?と、水窪(みさくぼ)の町が見えてきます。宮本常一『天竜川に沿って』にも詳しく書かれていた町です。列車からでは、そこに住む人々の生活は見えてきません。
 (渡らずの鉄橋)

 (水窪の町)

「飯田線は、水窪駅から長いトンネルをぬけて天竜川のほとりの大嵐(おおぞれ)に出ると、そこから天竜峡駅までの間は、川沿いの断崖の下を走ってトンネルを出たり入ったりで、トンネルの数はおびただしい。そして、トンネルとトンネルの間に小さな駅がひっそりとある」(宮本常一『天竜川に沿って』より)
まだ、「秘境駅」という言葉がなかった、昭和38年頃の話ですが、今も昔と変わらない風景なのでしょう。
 (大嵐駅)

 (小和田駅)

 (トンネルまたトンネル)

 (為栗駅)

 (天竜川)

トンネルを出たり入ったり、小さな駅にとまったりと、飯田線の真骨頂を行きます。途中の駅(秘境駅)で乗り降りする人はいませんでしたが、1人の勇気ある若者が小和田駅で降りていました。

やがて、12時10分列車は天竜峡駅に到着しました。ここまでで、4時間です。天竜峡駅は2011年の「秘境駅」号の旅で訪れたことがあります。天竜川下りの出発点でもあり、雨にもかかわらず、観光客が来ていました。


次は、12時33分発の茅野行き列車で、飯田をめざします。飯田までは、26分ほどの旅です。


そして、13時3分飯田駅に到着しました。今回の飯田線の旅はここまでです。雨はあいかわらず降り続いていました。


飯田駅では、反対のホームに「秘境駅」号が停車していました。これで豊橋まで帰る手もあったのか…。


飯田駅からは、高速バスで名古屋をめざします。高速バスなら2時間ほどで名古屋まで行ってしまいます。


名古屋からは、再び「ぷらっとこだま」で大阪へ帰りました。

雨の1日でしたが、楽しい飯田線の旅ができました。また、近いうちに今度は、飯田から辰野まで飯田線の旅をしたいと思います。その時は晴天で、アルプスの眺望を楽しめることを願っています。