はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

斑鳩の里をぶらり(古代史の舞台)

2016-10-26 19:58:55 | 古代史の舞台を歩く
法起寺をあとに法輪寺に向かいます。(これは法起寺です)


法輪寺に向かう道の左手には、岡の原という小山があります。そこには聖徳太子の子である山背大兄王の墓があるそうです。(富郷陵墓参考地として宮内省が管理しています。)
法輪寺の手前で見かけた懐かしい風景です。


聖徳太子と言えば、日本では誰もが知っている歴史上の人物ですよね。昭和61年までは1万円札の顔でもありましたから。その聖徳太子の評価も最近は変わってきたようです。聖徳太子はいなかったという学者もいるようです。
法輪寺の三重塔が見えて来ました。


法輪寺は、聖徳太子の子、山背大兄王によって建立されたといわれています。三井寺とも呼ばれるようで、瓦にも「三井寺」の文字がありました。


「聖徳太子」は確かに謎の多い人物ですが、「厩戸王」(聖徳太子)は実在した人物であることは、まちがいないでしょう。
法輪寺のまわりにもコスモス畑がありました。


ところで、聖徳太子の子であった山背大兄王ですが、蘇我入鹿によって、ここ斑鳩の地で滅ぼされてしまいます。山背大兄王も蘇我氏の系列ではありましたが、後継者争いの末の出来事とされています。
山背大兄王が葬られていると伝えられる岡の原です。


今は長閑な風景の中ですが、ここにも古代史のドラマがあったのですね。


それにしても斑鳩の里は、コスモスの里?みたいなことになっていましたよ。



※斑鳩の里には、法隆寺の西側に藤ノ木古墳があります。(2015.6.25「古代史の舞台を歩く 藤ノ木古墳の謎」)
また、斑鳩の里から飛鳥にむかって聖徳太子の斜交い道がつづいているんですよ。(2016.2.7「真っ直ぐ続く斜めの道?太子道を歩く」)
これらは以前にブログに書きましたので、興味があれば見てくださいね。

斑鳩の里をぶらり(柿くへば…)

2016-10-25 21:57:25 | カメラ紀行
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」正岡子規が詠んだ、あまりにも有名な俳句ですね。

遠くから法隆寺の五重塔を望みました。柿の木よりもコスモスが目立つ斑鳩の里でした。



多くの人で賑わう法隆寺でしたが、静かなところもあるものです。



夢殿を見学してきた小学生。ここは、今でも修学旅行のメッカなんでしょうか。



こちらは法起寺の近辺ですが、私が勝手に想像する斑鳩の風景です。



子どもたちも、こんなところで育つといいでしょうね。



いつまでも長閑な風景を残して欲しいと思うのですが、それは私の勝手な思いなんでしょう。写真には写っていませんが、まわりには、けっこう今風の家も建っていました。人が暮らしているので当然ですが、電柱や送電線もたくさんあります。それを邪魔だと思うのは、傲慢でしかありませんね。
一応は、風致地区に指定されている場所もあるようですが…。

いずれにせよ、正岡子規が「柿くへば…」を詠んだ頃の風景にはもどることはできませんね。

<もう少しつづきます>

斑鳩の里をぶらり

2016-10-24 20:35:25 | カメラ紀行
目が覚めると快晴です。これは出かけるしかありません。紅葉を見に行きたいのですが、見ごろを迎えているところは、遠方ばかりです。もう少し近場でいいところはないかと考えていたら、昨日見たブログ「よっちんのフォト日記」に法起寺のことがあったのを思い出しました。(よっちんさん、ありがとうございます。)ただし、紅葉ではなく、コスモスです。

そして、斑鳩の里、法起寺にやって来ました。期待通り、コスモスがきれいに咲いていました。同じ様な写真ばかりですが見てくださいね。


斑鳩の里と言えば法隆寺が代表的なお寺ですが、この法起寺は少し離れたところにあります。したがって、押し寄せる観光客もほとんどいない静かなお寺です。(写真愛好家は多かったですが)


この法起寺も聖徳太子ゆかりのお寺です。


この三重塔ですが、飛鳥時代に建立された現存する日本最古の三重塔らしいです。もちろん国宝です。


斑鳩の里を歩いていると、あちらこちらにコスモス畑がありました。昔は無かった風景だと思うのですが、コスモスは休耕田に植えられることが多いので、日本の農業事情とも関連しているのでしょうか。


斑鳩の里は、柿の木とお寺のイメージでしたが、コスモスとお寺も絵になりますね。


法隆寺の前には観光バスがたくさん並んでいて、修学旅行生や観光客の姿が目立ちましたが、ここ法起寺では、少し離れただけで静かな斑鳩を味わうことができます。お勧めですね。

<つづく>

垂水から舞子をぶらり(その2)

2016-10-23 19:51:55 | 知らない街をぶらり
垂水から舞子に向かってゆっくりと歩いています。生憎の天気のために写真もどんよりしています。

砂浜へやって来ました。ほとんどがコンクリートで護岸されているので、ホッとします。


アジュール舞子という海水浴場らしいです。でも、今は華やいだ景色はありません。少女が3人波際で戯れていました。


明石海峡大橋の下までやって来ました。後ろの建物は孫文記念館です。


夢レンズというモニュメントがありました。


橋の真下からの写真です。淡路島には、釣りによく行ったのですが、明石海峡大橋が出来るまでは「たこフェリー」で渡ったものです。


明石海峡大橋の下で優雅に将棋を指す二人です。(縦写真はなぜか大きくなってしまいます?)


明石海峡をゆく船ですが、川のように潮が流れているので苦労しているようです。



本来ならこのあたりから夕景を撮る予定でしたが、この天気では無理ですね。すると、「舞子海上プロムナード」というのがありました。橋の上に上がれるみたいです。これは知らなかったです。さっそく310円を払って、エレベーターで上がっていきます。


橋の上といっても、正確には道路の下かな?まあ、橋の中と言った方がいいかもしれません。遊歩道が作られていて、そこを歩いて行きます。(ここに見えているところは歩けません)


こんなスリリングな体験も。ガラス張りの上に丸木橋が渡してあります。47メートル下には海があります。


管理用の道路でしょうか。時々、管理車両が走っていました。この道路を渡って対岸の淡路島まで歩いてみたいものです。


それにしても、こんなとてつもなくでかい物をよく造ったものですね。人間の力の大きさを感じてしまいました。


橋の下を船が通りました。このあたりは陸地から150メートルつき出したところだそうです。


明石海峡大橋の夕景は撮れませんでしたが、思わぬ体験ができました。それにしても、橋に上がれるなんて、本当に知りませんでした。

垂水から舞子をぶらり(その1)

2016-10-22 21:25:18 | 知らない街をぶらり
第三土曜日は恒例の撮影会(写真教室)です。今回は、明石海峡大橋の夕景がテーマでしたが、生憎の天候のため夕景は諦めました。それでも、曇天の中を垂水(たるみ)から舞子まで海岸沿いを撮り歩きました。

はじめにやって来たのは垂水漁港です。


ポツポツと雨も落ちてきたようです。撮影には最悪の天気になってしまいました。漁港には、ファミリーで釣りに来ている人が多くいました。アジがよく釣れているようです。これならカメラより釣り竿を持って来るんだったなあ。


このあたりは明石に近いので、明石ダコを捕るための蛸壺がたくさん並んでいます。


垂水漁港は、イカナゴ漁の拠点でもあるそうです。たくさんの漁船が並んでいました。イカナゴは「いかなごのくぎ煮」という、春を告げる郷土料理として、神戸から明石にかけての地域でさかんに作られています。


水質も大阪湾と比べると、ずいぶんきれいに感じました。あくまで大阪湾との比較です。



ここは、どこでしょう?ヨーロッパの街に迷い込んだようです。


フランスの街にしては、座っているのは日本人のようですね。


実は、マリンピア神戸というアウトレットです。アウトレットはどこも大盛況のようですね。ブランド品が安く買えるのなら嬉しい話ですよね。でも、私はあんまり関心がありません。明石海峡大橋が近づいてきました。


垂水から、ずっと海沿いを歩いて行くことができます。釣りをする人、買い物をする人、海を眺める人、写真を写す人、それぞれが楽しんでいます。


明石海峡大橋が、すぐ目の前に迫ってきました。天気が良ければ、ここに沈む夕日を撮る予定だったのですが…。


それにしても、垂水(たるみ)とは美しい地名ですね。垂れ水=滝が語源のようなんですが、山手の方に滝があったのでしょか?
次回は、明石海峡大橋に上ってしまった話です。

<つづく>