はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

白い姿態

2013-04-21 23:43:06 | はがき随筆


 大根を作るのに、腰痛に耐えながら、60㌢の深さまで耕し種を蒔いていた。その成長を夢見て楽しみに間引きした。が何年やっても結果は同じで、二股三股の大根が多かった。
 ある時から微生物農法に切り替えた。微生物の力を借りて微生物に耕させるのだ。自分は怠けて腰痛もなく楽ちん!
 今では土が柔らかく、空気も養分も真下に入るのだろう。無農薬無肥料なのに立派な大根ができる。
 漬物大根はスラリとして最長82㌢にもなった。水洗いする度にその見事な白い姿態に見とれている現在である。
  出水市 中島征士 2013/4/17 毎日新聞鹿児島版掲載

帰ってきました

2013-04-21 23:26:29 | ペン&ぺん

 「帰ってきました」。と言っても、テレビでニュース解説をしたり特ダネ連発の花形記者ではなかったので、私の事など誰も知らないはず。私は隣の熊本出身。でも私の長女にとって鹿児島は生まれ故郷。17年前、当時の県立鹿屋病院で生まれた。31歳で妻と鹿屋通信部に赴任。4年間、大隅半島を回り、鹿屋で長女に恵まれた。その後、四国や北九州市などを経て山口県下関市にある下関支局から鹿児島へ。今年は幕末の志士、高杉晋作の奇兵隊結成から150年。幕末、明治に国を動かしたこの地で再び記者を勤められ、感慨深い。
 異動が内示され、鹿屋時代が鮮やかによみがえった。自民党の二階堂進元官房長官も山中貞則元通産相も現役で、取材には本人が応じてくれた。二階堂氏は日中国交正常化に尽力、山中氏は税制の重鎮として知られ、誰もが知る大物政治家。私は孫同然だったかもしれないが、きちんと話をしていただいた。また、鹿屋通信部記者の私が日ごろ接していない当時の須賀達郎知事や赤崎義則・鹿児島市長を取材したときも2人は気さくに応じてくれた。こう書いたのはお世辞ではなく、古くから国内外と戦い、交渉してきた経験の差がトップの人の血となり、度量の深さにつながっているのだろう。今は議員や首長に取材を申し込むと、事前に質問事項を求められたり、文書で回答というケースが多い。
 南日本新聞社やMBCなどライバル社ではあるが、不慣れな私を何度も助けてくれた優しくて、男気あるマスコミ人と再び仕事ができることもうれしい。記者クラブを“仲良しクラブ”と揶揄されないよう切磋琢磨したい。落ち着いたら、初当選時からずっと気になっていた本県の最高責任者、伊藤祐一郎知事をぜひ訪ねていかねばならないと思っています。鹿児島の皆さん、再びよろしくお願いします。
鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2013/4/6 毎日新聞鹿児島版掲載

お出かけ

2013-04-21 16:36:55 | はがき随筆
 父の通院送迎をするようになり、1年がたとうとしている。原付バイクでの通院が危ないからと母に懇願され、両親と月1回のお出かけといった感じで、毎回、帰りには昼食とたわいない会話を楽しんでいる。
 時には小3の次男と妻も加わり、親子3代そろって、ちょっとしたレジャーになったり。
 しょっちゅう、けんかしながらも、夫婦2人で元気に農作業している両親に感謝感謝の思いである。帰り際、父が言う「ありがとう」の言葉と仏様のような笑顔に喜びと、寂しさが交錯。改めて自分の齢を実感する。
  垂水市 川畑千歳 2013/4/21 毎日新聞鹿児島版掲載

少し斜め

2013-04-21 16:30:06 | はがき随筆
 冬の運動不足の足しになればと思いラジオ体操を始めた。
 午前6時半になると、家事を中断してラジオのチャンネルをNHKに切り替える。時間をかけて朝刊を読む夫のそばで私は体操をする。
 間もなく夫も加わるようになった。夫の肘や膝はしっかり伸びておらず、微妙に遅れて滑稽にさえ見える。その滑稽な体操が私の視線に入ると、巻き込まれてリズムが狂う。
 でも、気になる。少し斜めを向き、かすかに夫が視線に入る位置で体操をする。
 今朝もラジオのボリュームをすこーし上げて……。
  垂水市 竹之内政子 2013/4/20 毎日新聞鹿児島版掲載

ひとめぼれ?

2013-04-21 16:25:22 | はがき随筆
 信号待ちでふと目に留ったのは小柄な男子高校生。
 押してきた自転車を校門で止め、スタンドを立てる。校舎に向かって一礼。何事もなかったようにスタンドを外し、ちょんちょんと自転車に乗って去って行く。何と無駄のない動き。
 白地にタータンチェックのマフラーの女子高校生がさっそうとその横を通り過ぎる。校舎を振り返るふうでもなく。
 顔も見えない男の子に見とれていた。後ろから、早く行けとクラクションが鳴った。
 霧島市 福崎康代 2013/4/19 毎日新聞鹿児島版掲載