はがき随筆6月度の入賞者は次の皆さんです。
【月間賞】19日「民泊のお礼状」塩田きぬ子(62)=出水市下知識町
【佳作】3日「ちまき」中鶴裕子(63)鹿屋市王子町
▽6日「被災地にて」清水昌子(60)出水市明神町
民泊のお礼状 修学旅行の民泊を引き受け、その保護者からの礼状に、返事を書くかたちでの随筆です。まず、こういう形式の着想に感心しました。民泊で子供たちから自分が得たもの、それに、礼状を送った方の子供さんへの励ましなどが、暖かいトーンで書かれている気持の良い文章です。
ちまき ちまき作りを圧力鍋で挑戦した制作過程が、細かに描写されています。あくまきの名で市販されていますが、年配の人にはやはりちまきのようです。この手間の掛かる保存食の作り方を、かつて姑から、覚えない方がよいと素っ気なく言われたのも、その煩雑さを考えての愛情だったのでしょう。
被災地にて いわき市の現況の描写と感想です。海岸のサーファーに違和感をもったが、考えようによってはこれも復興のしるしかもしれないと、思い直したという内容です。この問題は複雑ですね。何をもって復旧復興というのかという問題を提起してくれています。
本紙に、阿部首相は戦争を知らないお坊ちゃんで、戦争をゲーム感覚で考えているという、ノーベル賞受賞者のインタビュー記事がありました。戦争は、政治家には会議室で起こりますが、庶民には飢えと生死の実体験です。その体験談3編を紹介します。
年神貞子さんの「サツマイモ」は、空襲の恐怖の後は、飢えの恐怖で、山地を開墾してサツマイモなどを栽培した、子供心にも苦労したことの回想が内容です。田中健一郎さんの「母のおにぎり」は、終戦の翌年車中で乗り合わせた、やせ細った、いわゆる引き揚げ者の母子に、自分の母親がおにぎりを与えた時の、微妙な心理の回想です。あの困窮の中での人情はやはり美しい。松尾繁さんの「疎開児童だった」は、戦時中台湾で同窓生だった友人の来訪に、往時の子供たちの、飢えと病気という疎開先での別の戦場を思い出したという内容です。「あれから68年生きてきた」という結びは、あの頃を体験した人たちの実感でしょう。
(鹿児島大学名誉教授・石田忠彦)
【月間賞】19日「民泊のお礼状」塩田きぬ子(62)=出水市下知識町
【佳作】3日「ちまき」中鶴裕子(63)鹿屋市王子町
▽6日「被災地にて」清水昌子(60)出水市明神町
民泊のお礼状 修学旅行の民泊を引き受け、その保護者からの礼状に、返事を書くかたちでの随筆です。まず、こういう形式の着想に感心しました。民泊で子供たちから自分が得たもの、それに、礼状を送った方の子供さんへの励ましなどが、暖かいトーンで書かれている気持の良い文章です。
ちまき ちまき作りを圧力鍋で挑戦した制作過程が、細かに描写されています。あくまきの名で市販されていますが、年配の人にはやはりちまきのようです。この手間の掛かる保存食の作り方を、かつて姑から、覚えない方がよいと素っ気なく言われたのも、その煩雑さを考えての愛情だったのでしょう。
被災地にて いわき市の現況の描写と感想です。海岸のサーファーに違和感をもったが、考えようによってはこれも復興のしるしかもしれないと、思い直したという内容です。この問題は複雑ですね。何をもって復旧復興というのかという問題を提起してくれています。
本紙に、阿部首相は戦争を知らないお坊ちゃんで、戦争をゲーム感覚で考えているという、ノーベル賞受賞者のインタビュー記事がありました。戦争は、政治家には会議室で起こりますが、庶民には飢えと生死の実体験です。その体験談3編を紹介します。
年神貞子さんの「サツマイモ」は、空襲の恐怖の後は、飢えの恐怖で、山地を開墾してサツマイモなどを栽培した、子供心にも苦労したことの回想が内容です。田中健一郎さんの「母のおにぎり」は、終戦の翌年車中で乗り合わせた、やせ細った、いわゆる引き揚げ者の母子に、自分の母親がおにぎりを与えた時の、微妙な心理の回想です。あの困窮の中での人情はやはり美しい。松尾繁さんの「疎開児童だった」は、戦時中台湾で同窓生だった友人の来訪に、往時の子供たちの、飢えと病気という疎開先での別の戦場を思い出したという内容です。「あれから68年生きてきた」という結びは、あの頃を体験した人たちの実感でしょう。
(鹿児島大学名誉教授・石田忠彦)