「50.42%」。21日投開票された参院選の本県の投票率。過去最低の数字で、県内有権者の約半数が棄権した。新聞やテレビ、県選管も各自治体も投票率低下に歯止めをかけようと努めたが、棄権の理由は何だろうか。
これは安倍政権への信任の表れか、いや「どこの政党、どの候補に入れても同じ」だからか。経済、年金、福祉、医療、農業問題など庶民の不満、疑問をぶつけられる唯一の機会は投票しかないと思っている。もったいない。たかが1票だが、それが集まって政権交代も実現できたのだから。
炎天下、全チームが最後まで立派なプレーを見せてくれた全国高校野球鹿児島大会。楠南対鹿児島実は決勝戦にふさわしく手に汗握る大接戦。担当記者も「どの選手も気持のよいあいさつをしてくれた」と感心していた。鹿実は夏の甲子園行きを逃したが、すぐに来春の「センバツ」出場の選考資料となる秋の九州大会がやってくる。他校も含めて頑張ろう。
私事だが、伯父が86歳で亡くなった。大戦末期、伯父は長崎でベニヤ板製の船に爆薬を積み、敵艦に突っ込む訓練を受けていた。終戦が長引けば戦死。まだ少年なのに、まさに海の特攻だった。
父は旧満州(現中国東北部)で召集された。重機関銃の射手だったが、「1発の弾丸もなかった」と何度も聞かされた。シベリア抑留4年。過酷で悲惨なシベリア体験を持つ父に、私はずって頭が上がらなかった。今夏は父の十三回忌で、生きていれば88歳。伯父も父も終戦時は18歳と20歳。戦時の生き証人だった。
伯父の特攻訓練も、父のシベリア抑留も「いつかゆっくり聞こう」と思っていたが、ついに話を聞けぬまま2人は逝った。子として、記者として悔みきれない。終戦記念日が近いからではない。やはり、戦争を体験した皆さんはぜひ子供たちに語り継ぐべきだ。
鹿児島支局長 三嶋祐一郎