散策する道沿いには夏の 間、バショウの葉が青くみ ずみずしく茂っていた。だ が、秋が深まるにつれ葉脈 に沿って裂けていった。幅 が細くなった。この「破れバショウ」の頃になると、 何とはなしに昔を思う。
祖父母は、庭に植わるバ ショウの葉がちぎれ始める のを見て、冬支度に取り掛 かった。
たどんや炭を使うこたつは3世代の人数分だけ、祖母が準備した。 また一冬、 家の暖を担う火鉢用の新しい灰作りを始めた。当時の家庭燃料はまきだ った。これでご飯を炊き、風呂を沸かした。水が冷たくなると使う量が増える。だから祖父は、まき作りに頑張った。 軒下に高く積み上げていき、家族を安心させたものだ。現代では、想像もしにくい冬本番への備え。自然の営みから季節の変わりを学んでいた。 人と自然が共存する、いい時代だった。
わが家の燃料がまきからLPガスや灯油に変わったのは昭和30年代半ばであ る。 祖父母は既に他界して いた。気楽に冬を迎えることはついに一度もかなわな かった。母は冬になれば、祖父母の苦労を思い、感謝 していた。 冬、寒さ冷たさが増していく。バショウの葉は姿を消す。「枯れバショウ」と
なる。 じっと寒さに耐え、春を待つ。やがて陽光の下、新葉がのぞいてくる。 私は幼い時分からその変 化を見てきた。時代が移っても変わらない大切なものを感じる。 目の前の枯れバ ショウにそう話し掛ける。
片山 清勝(80)=岩国市 岩国エッセイサロンより