はがき随筆・鹿児島

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「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

波のない海

2011-04-01 13:21:17 | ペン&ぺん
 錦江湾は、とても穏やかな海だ。風のない日には波の音もわずか。潮の香りすら感じない。
 例えば、夕なぎ。例えば、姶良の重富海岸あたりにたたずむ。まるで湖のような水面。海としては、余りにも味気ないほどだ。
 その錦江湾に、津波が起きたことがある。
  ◇
 1779年のはじめ。桜島は南岳中腹から爆発。さらに、北東側の中腹からも噴火した。大規模な噴火は数日間にわたって続く。薩摩藩城下にも多量の降灰があり、夕暮れ前なのに深夜のような暗さだったという。垂水、牛根に噴石が飛び、桜島燃亡霊等の碑には148人が命を失ったと刻まれている(鹿児島市「桜島火山対策要覧」など参照)。
 史実にいう「安永の大噴火」である。その被害は翌年まで続いた。
 この大噴火に伴い、桜島北側の沖で海底噴火があり、錦江湾に津波を起こす。海岸線を襲った津波の高さ2㍍以上。大人の背丈を軽く越した。
  ◇
 時代は下り、1914年1月。桜島が大きく噴火する。いわゆる「大正の大噴火」だ。その際、鹿児島市民の間に「津波が来る」という話が出回った。逃げまどう人たちで市内は大混乱する。馬車に家財道具を積み込んで人々は高台を目指す。「津波は、もう下町まで押し寄せている」「津波は県庁付近まで来ている」などの伝聞情報が飛び交ったという(橋村健一著「桜島大噴火」参照)。
 安永の大噴火を知っている人が言い出したとの指摘もある。(「内閣府災害教訓継承普及教材・火山編」など)。津波来襲の可能性はあったかもしれない。だが、実際に大正の大噴火に伴う津波はなく、人々は流言に踊らされたことになる。
   ◇
 波のない海。味気ないほどの穏やかさ。その大切さを思う。
  鹿児島支局長 馬原浩 2011/3/28 毎日新聞掲載

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