はがき随筆・鹿児島

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「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

転勤で分かったこと

2013-05-06 22:53:32 | ペン&ぺん
 
 鹿児島支局への異動が内示され、実家(熊本県八代市)の母に連絡した時のことだ。母は昨年末に体調を壊し、正月に帰省した際も「早くお父さんのもとへ行きたい」と繰り返すばかりだった。でも私の報告に「鹿児島は隣県」「新幹線であっという間」と頭の中を駆け巡ったのか。たちまち「お母さんが炊事、洗濯をする。マンションの合い鍵をちょうだい」と勢いよくしゃべりだした。まるで、男子中高生に話すように。私(51)も母には子供のままらしい。妻の目に「マザコン夫」と映らないか心配だが、まずは元気になってくれて、安心した。
 大学時代の恩師の奥さんにも伝えた。恩師は既に他界。でも奥さんが健在で、異動を伝えると、とても嬉しそう。「夫の先祖は鹿児島藩の江戸屋敷で仕える武士だったらしいの。夫が生きていたら、きっと鹿児島に行くわよ」と。恩師の先祖は明治になっても、そのまま東京に住んだ。恩師は講義や我々と一杯飲む時は生粋の江戸っ子の話し言葉だったのになあ。
 生きていれば、今87歳で、今年夏に十三回忌の父の話。鹿児島勤務は2度目だが、最初の赴任時に、まだ元気だった父が「おやじが鹿屋で事業をしていた。確か、植物の繊維で袋を生産していた」と。父がまだ少年だった頃で昭和一桁。父の記憶が鮮明なら、探してみようと思ったが、父も亡くなり、ついにかなわなかった。祖父が80年以上も前に大隅半島で事業だなんて。やはり、私と鹿児島は生まれる前から出会う運命だったのだ。
 引越しの手伝いに来ていた娘たちが北九州市の自宅に戻る際、JR鹿児島中央駅の改札でわーンと泣いた。私は父の葬式でも泣かなかったのだが、さすがに参った。男親はなぜ、わが娘に弱いのだろう。父が私の姉には甘かったのが、分かってきた。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2013/5/6 毎日新聞鹿児島版掲載

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