はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

手品師

2007-11-04 07:37:16 | はがき随筆
 4月末、庭の一画に畳4枚分ほどのミニ菜園を作ってもらった。ほんの少しでよいから、無農薬でフレッシュな野菜を食べたくて。
 やはり土の力はすごい。期待以上の収穫があり大満足。毎日いただいた青ジソ、葉ネギ、オクラ、ニガウリは猛暑を乗り切る元気のもととなった。
 秋になり、愛犬シーズーの大好物カライモも、当分困らないほどの収穫があり、早速ふかして与えると大喜び。
 そして今、彼岸過ぎにまいた野菜の種も発芽し、元気に育っている。
 小さな菜園ではあるが、まるで手品師のような技を持つ私の宝物である。
   鹿屋市 田中京子(56) 2007/11/4 毎日新聞鹿児島版掲載
   写真はmumboさんからお借りしました。

直線の心電図

2007-11-03 08:12:37 | はがき随筆
 日曜日の朝、24時間の心電図を取り終え器具を外してもらいほっとした。
 次の日、医師から「夜中に心臓が3回止まっている。この直線は心臓停止を表している。1.2……7秒」。深刻な顔、がく然とした。
 「薬で何とか様子を見てほしい」と頼み、服用を始めた。心臓を強くする薬の副作用で胸の不快感。ふらふらで苦しい。
 10日目に、手術を受けようと決心。誰もが病に耐えているのだ。自分だって我慢できるはずだ。頑張ろう。
 ピアノで「千の風になって」を口ずさむ。誕生日の花束が心を癒す。
   薩摩川内市 上野昭子(79) 2007/11/3 毎日新聞鹿児島版掲載

美しい国

2007-11-02 20:12:21 | アカショウビンのつぶやき





 「日本を美しい国に」。但し安倍元総理の言葉ではない。今から60年前、敗戦直後の日本も日本人の心も貧しくすさんでいた頃、音楽を心から愛した私の恩師・宋鳳悦先生が残された言葉なのだ。

 先日、女学校時代の友人が、ある事情で財産の全てを娘さんに譲り、シニアマンションで新しい生活を始めた。
 1戸建ての住まいから、1DKに移るには、徹底したシンプルライフに生活スタイルを変えねばならない。彼女がマンションに持参した、ごく僅かの荷物の中にぼろぼろになった女学校1年の時に学んだ音楽副読本・A5版の小冊子「読譜の友」があった。

 「これだけは持って来たの…」二人で頁をめくりながら、60年昔にタイムスリップしたようなひとときを過ごした。オリジナル版ではないが、20数年前、たまたま押入から見つけた友人が、コピーして同級生にプレゼントしたうちの一冊である。
 宋鳳悦先生は、衣食住全てが満たされなかった時代、印刷する紙さえ充分になかったなかで、音楽をこの子等に! と音符も読めない子供たち一人一人に副読本を与え、熱心に指導する、当時としては異色の教師だった。

 表紙にひとりで伸びる「読譜の友」初等篇、<はじめに>の言葉には
 私は日本を美しい国にしたいのです。それには芸術ことに音楽をさかんにすることだと信じてゐます。そして私は日本ぢゅうの皆さんが一人残らず音楽を愛していらっしゃるといふ事も知ってゐます。それだのに音楽が上手になりさかんにならないといふ事はどうしたことでせう。それは私たちに楽譜を讀む力がないからです。(中略) みなさん、うんと勉強して、一日も早く私たちの日本を美しい文化のかおり高い国にしようではありませんか 昭和22年2月22日 そう ほうえつ

 はじめに知っておかねばならぬことは、歌はどれでもたった七つのなまえの音でできてゐるといふことです。という言葉で始まり、実に平易に学べる工夫がされている。宋先生の「楽典」が私たちを音楽好きにしてくれた。

 宋鳳悦先生は、昭和24年(1949)に上京され、都内の中学校音楽教師として40年勤務し1991年に78歳でなくなられたが、都の文化功労者として表彰されたり、昭和天皇の前で、自作の曲を演奏するなど音楽家、作曲家として活躍するかたわら、短歌にも親しむスケールの大きい教師であった。

 宋先生がお別れの時に、作詞作曲して私たちに下さった「夜の公園」という、哀愁を帯びた懐かしい歌を彼女と二人で歌いながら、74歳で新しい生活を歩み始めた友の上に幸多かれと祈りつつ…家路についた。


 



涙のフィナーレ

2007-11-02 18:24:01 | はがき随筆
 指揮者がタクトを振り下ろし、囚人たちのコーラスが始まった時から、まぶたが熱くなっていた。
 博多座初の2カ月連続公演、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の千秋楽である。日本初演から20年目を迎え、当時の俳優も参加している。
 舞台に流れる曲のすべてが胸に響いてくる。最後には主な9人の役者があいさつを述べ、学生たちが市民や仲間たちに呼びかける「民衆の歌」の歌詞がスクリーンに映し出された。
 俳優も観客も一緒に歌った。隣の人も泣いていた。鳴りやまない拍手に、カーテンコールは20分以上も続いた。
   鹿児島市 本山るみ子(55) 2007/11/2 毎日新聞鹿児島版掲載

歌いましょ♪♪

2007-11-01 07:52:24 | アカショウビンのつぶやき







 10月26日(金曜日)  鹿児島県お母さんコーラス 第30回 合唱祭 が、鹿児島市・宝山ホールで開催されました。
 県下各地から54団体が参加し、色とりどりのコスチュームに見とれながら、ホール一杯に響き渡る美しいハーモニーに酔いしれました。私たち「信愛コーラス」は、17名、ちょっと寂しいけれど精いっぱい歌いました。

   まず、モーリー作曲「うたいましょう」を、アカペラで元気良く歌い
   次に「時は流れても」作詞/山上路夫 作曲/池辺晋一郎 の2曲。

 選曲に手間取り、6月末に楽譜を渡されのですが、全員揃っての練習が難しく不安な本番でした。残念ながら不安が的中して、ちょっとミスったけれど、楽しく歌えたから良しとするか…。

 今年は「鹿児島県お母さんコーラス連盟」発足30年にあたり、この日まで歌い続けた15の団体が表彰されました。我が信愛コーラスも表彰状を頂き、色々な困難な中でも歌い続けられた幸いを心から感謝しました。

 練習の時はいつもママと一緒のKくん、Yくん。当日は不安ながら抱っこして舞台に上がる予定でしたが、去年鹿児島市に転出した信愛コーラスOBのKさんがベビーシッターを引き受けてくださり、母子競演は夢となりました。

 会員が知恵を出し合い、久しぶりにオーダーメードのブラウスを作りました。デザインを考えたり、布を買いに鹿児島市まで出かけたりと、手作りのような感じでしたが素敵なブラウスが出来上がりました。

 次の舞台は、12月8日のクリスマスコンサート、練習もすでに始まりました。
何歳まで歌えるのかなぁ…との思いは消えませんが、お母さんコーラスで杖をつきながら舞台に上がるご高齢の方々の姿を見ていると、もうしばらくは歌えそうだなと思えてきました。♪♪


月に願いを

2007-11-01 06:48:30 | はがき随筆
 健康を思う気持ちから肥満は避けたいと思う。対策として毎日14㌔歩く。
 真夏日が続いたこの秋だが、家を出る5時半ごろの空気は澄み冷気さえ感じる。足元を照らす月に減量を願う。
 あの月には衛星として「かぐや」が周回している。かぐや姫と衛星ではどうにもイメージが結びつかないが、種子島から飛び立ったことを思うと愛着はひとしお。新発見を送ってほしい。
 さて、体重の方だが、発汗低下で期待する結果が得られない。その上、料理上手な我が家のかぐや姫が、秋の味覚てんこ盛りでは、タメ息の日々。
 お月さま、お願い。
   志布志市 若宮庸成(68) 2007/11/1 毎日新聞鹿児島版掲載