はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

不安な夏

2010-06-10 20:48:34 | はがき随筆
 冬から春、そして初夏とたしかに季節は移ってゆくのだが、今年の気候はやはり異常であ
る。暖かい冬の次に寒い春。そして雨の多い初夏。
 地球が落ち着きを失ってしまったような錯覚を感じる。世の中、相変わらず変動が激しくさまざまなことでもめている。この地球ももう長くはないように思えてならない。もう少し人間らしく仲良く生きてゆけないものだろうかと思う。
 梅雨の季節を迎えるが、果たしてその後どんな夏がくるのか、少し不安なこのごろである。夏らしい素晴らしい日々を待っているのだが……。
  志布志市 小村豊一郎(84) 2010/6/10 毎日新聞鹿児島版掲載

ご褒美?

2010-06-10 20:11:40 | 女の気持ち/男の気持ち
 たまりにたまった机の上の郵便物、カタログ類。それを一つ一つ確かめながら、これはもう用済みだからゴミ箱行き、要対応書類だからそのまま机上に、要保存だから引き出しのファイルに、と分類していた。保存する書類をしまうため引き出しからファイルを取り出すと、イヤリングの片方が挟まっていた。数年前になくしたとあきらめていたものだった。
 さらに机の片づけを進めていくと、新聞が1部手つかずのまま出てきた。私の投稿が載った日の分で、販売店から余分にもらってきたまま行方が分からなくなり、捜していた。これで切り抜きができる。
 明日は夫の手術日。3度目ともなると私は慣れてしまって、週末には退院だと家事の予定など立てている。ところが夫の方はそうではなかった。前回までの緊急手術と違って、今回は半年前から予定されていた。夫は入院の数日前から身の回りの片づけを始めた。普段は散らかしっぱなしなので「いつもこんなに、片づけてくれたら助かるのに」と、悪妻の私は薄情にも黙って見ていた。
 前回同様、1週間もしたら「調子が良くなった」と言って帰ってくるに決まっている。私も片づけでもして、久しぶりにすっきりした家で迎えてあげよう。
 良妻に変身した私に、イヤリングと新聞の出現はご褒美なのかしら。ちょっと戸惑いながらも勝手に合点した。
鹿児島県出水市 清水 昌子・57歳 2010/6/9 毎日新聞の気持ち欄掲載

そばの花

2010-06-10 20:02:41 | はがき随筆
 郊外の里山近くの畑に、白い小さな手袋のような花を咲かせている。そばの花である。
 風になびいて揺れている様はノスタルジアを感じさせる。
 この花が、やがては三稜形の黒褐色のソバの実になるのである。
 今は亡き田舎の祖母が団子状のソバをソバ切り機で細い麺にしていたのを思い出す。
 時々、ソバを食べるが、祖母のソバの味よりも、ソバ切り機が、実家にあるかが気がかりだ。
  鹿児島市 下内幸一(61) 20106/9 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はsanaaiさん

毎日新聞社より特別功労賞!

2010-06-09 21:46:23 | アカショウビンのつぶやき











先日福岡市で開催された、毎日はがき随筆大賞・表彰式で、「毎日ペンクラブ鹿児島」元会長、故上村泉さんに特別功労賞が贈られました。

上村さんは「毎日ペンクラブ鹿児島」の初代会長として、会の創立より5年間、その重責を全うされました。ご病気のために3月にお亡くなりになるまで投稿を続け、国語教師の実力を示すエッセイは私たちのお手本でした。

エッセイだけでなく、ビデオ、炭焼き、巨木巡り、コミュニティーFMの番組ボランティア等々、その活躍の場は多岐わたり、阪神タイガースの熱烈なファンでもありました。

今日は、表彰状を直接奥様にお渡ししたいという、支局長を案内してお邪魔してきました。
奥様は少し細くなられたようですが、お元気に迎えてくださいました。

「毎日新聞社のお計らいに恐縮です」と言いながら、仏壇に報告して居られる姿に胸がいたみました。

素顔の上村さんのお姿もいっぱいお話くださり、上村さんを偲びつつお別れしました。

不思議に時は流れる

2010-06-08 11:27:47 | はがき随筆
 高卒後、県の出先機関に臨時職員(日給130円)として採用された。夜は短期大学第2部に通い、ノート整理で午前1時2時就寝がごく当然であった。
 夜学部の高校生を対象に、授業案なしの教育実習、今と比べると雲泥の差がある。47年前のころで、教員採用もほぼ全員であった。高卒者は小学校助教諭で、通信教育に免許取得、大学卒資格にと一生懸命であった。
 夏休み、先生方の姿はほぼ皆無であった。今は、ほとんど勤務して一日中パソコンとにらめっこしたり研修したりの現実。今も以前も不思議さも感じずに時は不思議に流れる。
  出水市 岩田昭治(70) 2010/6/8 毎日新聞鹿児島版掲載

沖縄で見たもの

2010-06-08 11:06:20 | はがき随筆
 基地問題で揺れる沖縄を数年前に仲間と旅した。地元の教師に案内を頼んだ。集団自決のあった洞(がま)へ行った時のこと。平和像に拝礼して帰ろうとした際、「ここを見て」とガイドは横の戸を開けた。中は全員がやっと入れる広間になっていた。懐中電灯に照らされた一角を見て、私は思わず息を呑んだ。六十数年の時を越えた遺骨、茶碗、皿、櫛、鏡などのかけらが散乱していた。これが沖縄なのだと私は思った。外に出て生温い風の中、自然と涙が流れた。
 私は思う。戦場となった沖縄を軽率に語ってはならないと。
  山室恒人(63)大口市 2010/6/6 毎日新聞鹿児島版掲載

挑戦

2010-06-08 11:03:40 | 岩国エッセイサロンより
2010年6月 5日 (土)
岩国市  会 員   横山 恵子

「雑音を聞かせて悪いけど、少しだけ吹かせて」と一応、夫に許可を得てフルートを吹き始める。習い始めて2ヵ月。退職したら楽器を習おうと思っていたが、時間だけが過きた。

2月に孫が生まれたので「よし! 誕生日に吹いて祝ってやろう」と決心して申し込んだ。不安だったが、我が子ぐらいの先生が「今のはよく音が出ましたね」とほめてくれるので、やる気が出た。思うように音は出ないが、うまく吹けた時はうれしくなって、もっと頑張ろうと思う。

 食べず嫌いだったのか。若い時からやっておけば良かったなあ。あーあ、勉強も。
(2010.06.05 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロン花水木より転載

友の死を今もいたむ

2010-06-08 10:58:10 | 岩国エッセイサロンより
2010年6月 3日 (木)

   岩国市  会 員   横山 恵子

 5月25日付広場欄の「水難救助には浮き袋を」を読み、小学校時代のつらい出来事を思い出した。

 近くの川で一緒に泳いでいたAちゃんが深みに入り、そばにいた私にしがみついた。それは想像だにしないものすごい力だった。私が潜ると手を離したので何とか助けることができた。

 おぼれる人の救助には、浮袋か長い棒が必要なことを身をもって知った出来事だった。

 夏休みには祖父母の住む田舎に泊まりに行った。近所のSちゃんが「明日は岩国のおばさんの家に行くんよ」とうれしそうに話してくれた。

 しかし、その2日後、Sちゃんは変わり果てた姿で帰ってきった。子どもたちだけで泳ぎに行きおぼれてしまったのだ。

 Sちゃんのおとうさんは連れて帰るタクシーの中、生き返るのではと、ずっと抱いておられた。その夜、私は祖父の後を思い足どりでついって行った。

 Sちゃんは、まるで眠っているようだった。お母さんは信じられないといった様子でSちゃんの頭や手をなで話しかけておられた。胸中を思うと今も心が痛む。

(2010.06.3 中国新聞「広場」掲載)岩国エッセイサロン花水木より転載

柿の小さな実

2010-06-05 16:07:54 | はがき随筆


 ポト、ポトッ、パラ、パラッ。柿の小さな実が今朝も落ちてきた。サアーッ、サアーッと、いやというほど掃いた。
 今年も庭の柿に、小さな実がびっしりついた。4枚の蒂の真ん中に可愛い黄緑の小さな実
をつけている。夜来の風雨で、底一面に落ちて、すごい数だった。
 落ちた実は大部分が蒂と離れている。こんなに実がついていたのかと見上げた。今も風が吹いている。きっと明日もまた掃除かな。
 柿の小さな実さん、そんなに落として、あとは、大丈夫なの?
  出水市 畠中大喜(73) 2010/6/5 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はkusatomoさん

毒舌を懐かしみながら

2010-06-05 16:00:17 | はがき随筆
 息子に勧められてパソコンの練習を始めた。「できるだろうか」と言う私に、英語教師の息子は「優秀な講師がついているから大丈夫」と言う。「でも教え子のおつむの方がねえ」と戯れ言を交わしたが、メカには弱いし、パソコン用語にも質問攻めする私に、息子は内心まどろっこしいと思っているかもしれない。
 それでもやってみると面白い。面白いと思えるから何となく続けられるかも、と思っている。
 3年前に亡くなった夫は、素朴で悪気のない人だったが、相当な毒舌家だった。20年前、短歌を習い始めた私に熊本弁で「メシの種にもならんこつばして」とのたもうた。70歳になった時も医療費が要らなくなってうれしいという私に
 「お前も死に前が近うなったな」と言った。数えれば限りなくある毒舌の語録。
 私も負けずに「もう情緒レス」とか、「結婚の申し込みの時、『幸せにします』とか言って、一番上に『ふ』を付けるのを忘れていたんじゃない」と□争いしたのも懐かしい思い出だ。
 夫の写真を横目に見ながら悪戦苦闘の私に夫が声をかけるとしたら、きっとこう言うだろうと想像して笑ってしまう。
 「ふん。またそぎゃんこつばして、電気代の無駄たい」
 私は私で、天国か地獄か、どちらにお住まいか分からないけど、「そちらの住み心地は如何ですか」などと書いて練習している。
  大分市 木村すみ子・78歳 2010/6/5 の気持ち欄掲載

たけのこ

2010-06-04 22:49:22 | はがき随筆
 隣の竹林から裏の畑にたけのこがその根を伸ばしてきた。昨年はそれほどではなかったが、今年は勢いがよい。タブノキの横にニョキッ、フジの枝の横にニョキッ、梅の木の横にニョキッ、オオデマリの花の下にニョキッ、あちこちにニョキッ、二ョキッ……。土を盛り上げて頭を出したかと思うと、あっという間に20㌢、30㌢と大きくなる。切り倒して食べてはいるか、この調子であちこちに根を張り竹林になっては大変だ。隣の茶畑は、あれよという間に竹林に姿を変えた。竹の生きる力はたくましい。明日はどこに頭を出しているかな。
   出水市 山岡淳子(52) 2010/6/4 毎日新聞鹿児島版掲載

白紫陽花

2010-06-03 19:33:44 | アカショウビンのつぶやき
 今年も庭の紫陽花が、ようやく咲き始めました。
去年、強剪定をしたのが悪かったのか、花の付きは悪いのですが、白紫陽花はとくにきれいです。

 白紫陽花は、我が家では夫の花なのです。
彼は最後まで自宅で過ごしましたから、枕元にはいつも白紫陽花を生けていました。
夫は嗅覚が異常に過敏になり、高価なカサブランカを頂いても近くに飾ることはできませんでした。あでやかなピンクの紫陽花よりも白を好み、辛い病床の日々を慰めてくれる花でした。

6月15日は16回目の召天記念日が巡ってきます。8人兄弟の3番目に生まれた彼が、いまでは一番若い人になってしまいました。
いくら時が流れても、若葉が萌え、命輝くこの季節は辛い日々なのです。

でもこの歳まで生かされ、守られているのは、彼のおかげかもしれません。再会の日まであとどのくらいでしょう。

聖書の中に
「生くるもよし、また死ぬるもよし」という言葉がありますが、その言葉が、この頃理解できるようになりました。

かなしみ

2010-06-03 17:45:03 | はがき随筆
 窓から光が射し、裏の竹林を渡る風が五官に心地よい朝だというのに、かなしみがひたひたと満ちてくる。
 底におりてピンクや黄色の花を摘んで小つぼに入れると、そこは心安らぐ小宇宙だ。けし粒ほどの人になり、この小宇宙に埋没してしまいたい私と、万物の安らげる大宇宙がほしいとあせる私とがいて、その裂け目からまたもかなしは湧いてくる。あの人が体を折って苦しんでいるので、けもの達の森が消えていくので、かなしみにおぼれてはいられない。せめてかなしみの湧出源から目をそらすまい。
  鹿屋市 伊地知咲子(73) 2010/6/3 毎日新聞鹿児島版掲載

峠の汽笛一声

2010-06-03 17:42:53 | はがき随筆
 「二番列車が通ったよ、早うせんね、学校に遅るっど」。母や祖母の声が耳の記憶に残る。
 本紙の続『てっどの旅』小向井さんの随筆絵ハガキに出ていた川内駅と串木野駅間の金山峠がある。SL時代は通過する度に大きい汽笛の響きと高い黒煙を残していた。当時は汽笛の音が時刻を知らせる役目にもなっていたと思う。懐かしい峠はトンネルに変わりあの汽笛も消えて、冷たいコンクリートの中に眠っている。登り坂の串木野からは蒸気機関車が『ナンダ坂、コンナ坂』と息遣いにも似た車輪のリズムは今も鮮やかな思い出に。汽笛は遠い日々に。
  鹿屋市 小幡晋一郎(77) 2010/6/2 毎日新聞鹿児島版掲載

黒米のおいしさ知る

2010-06-01 18:00:52 | 岩国エッセイサロンより
2010年6月 1日 (火)

   岩国市  会 員   山本 一

浜田の「きんたの里」へ元勤務先の飲み仲間とバス旅行をした。妻が黒豆を煮たのが好きなので、土産に黒豆を買った。

ところが、帰ってから妻に渡すと黒豆ではなく、「黒米」と書いてあるではないか。びっくり仰天したが、妻は「知っているよ」とまんざらでもない顔なので、少しほっとした。

翌日、妻がパートに出かけ、一人での昼食となった。炊飯器を開けてまたびっくり。何と真っ黒なご飯だ。とても食べたくない。

恐る恐る食べてみると結構おいしい。京都の和菓子屋へ嫁いだ長女が話を聞きつけ、食べてみたいと言うので、残り全てを送った。

先日長女が帰省した時、「夫が試作した」と言って、土産に黒い大きなむすび2個を持ってきた。黒米を使ったおはぎだと言う。食べてみると中にあんが入っていて、なかなかの味である。

黒豆と間違えて買った黒米だが、家族の話題になった。今度行くことがあったら、ちゃんと黒米を意識して土産にしよう。

(2010.06.1 中国新聞「広場」掲載)岩国エッセイサロンより転載