はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

剣岳への挑戦

2010-08-08 22:03:13 | はがき随筆


 山登りする玄人山男の中で槍ヶ岳・甲斐駒ヶ岳・剣岳は登りたい山ベストスリーであると言われる。
 このうち、剣岳は、映画のヒットで、さらにクローズアップされた感がする。自分はこの山だけ登っておらず、今回3泊4日の山旅になった。
 室堂からのスタートは天気も良く、壮大な立山三山や雪渓のスケールに感嘆の声ばかりである。剣山荘に泊まり、いざ出発であるが、雨と風速15㍍の風、そして視界10㍍の三重苦で前剣で断念。川柳駄句『登れなくて初めて知る剣の畏怖』。残念なり。
  鹿児島市 下内幸一(61) 2010/8/6 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はフォトライブラリより

平和への祈り

2010-08-07 16:23:26 | アカショウビンのつぶやき
このページは長崎市在住おたくささまのおたくさ日記からお借りしました。
被爆後65年、戦争を知らない世代が多くなりました。
地球上から核兵器をなくすために、私たちがその悲惨さを語り継いでいかねばなりません。



1945年8月9日午前11時2分。
長崎は原子爆弾の投下をうけ、一瞬にして焼け野が原となりました。
戦後65年経っても被爆地の思いは届かず、核の脅威は広がるばかりです。
長崎から、“おたくさ”の思いを画像に込めました。
ご自由にお持ち帰りいただき、
多くの人に平和への関心を広めていただければ嬉しいです。m(__)m



平和祈念像

平和祈念像は被爆10周年にあたる1955年8月に完成しました。
垂直に伸ばした右手は原爆の脅威を、
水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っています。
長崎の平和運動のシンボルとなっています。
(2010年)





平和の泉

水を求めながら亡くなった原爆被爆者の冥福を祈って、
1969年につくられました。
碑文には
『のどが乾いてたまりませんでした 
水には油のようなものが一面にういていました 
どうしても水がほしくてとうとうのみました』
と刻まれています。
噴水の形が変わるのは、平和の象徴とされる鳩の羽ばたきと、
「鶴の港」と称される『長崎港』をイメージしているそうです。
(2010年

退職記念に貰った似顔絵(副題;「よ」さんの似顔絵)

2010-08-07 16:07:31 | 岩国エッセイサロンより
2010年8月 6日 (金)

   岩国市 会 員   山本 一

7年前、二度目の東京勤務の時に定年退職を迎えた。岩国から妻を呼び寄せ、単身マンションの片付けをした後、横浜のランドマークタワーへ食事に行った。

展望台には似顔絵のコーナーがあり、数人の絵描きさんがいた。妻が学生風の小柄な女性に「主人の退職記念です」と言ってお願いした。似顔絵を描いてもらったのは、後にも先にもこれが初めてである。

今、その似顔絵は書斎のど真ん中にかかっている。肩を寄せ合い花束を持っていて、何だか気恥ずかしい。妻の大きなほくろやたれた目、私の糸を引いたような細い目など、よくこんなに特徴をつかんで描けるものだと感心する。いかにも仲が良さそうな、温かい感じの絵だ。「夫婦はこうあって欲しい」という作者のメッセージが感じられて、とても気に入っている。けんかしても、この絵を見ると仲直りできそうだ。

あの時の絵描きさんは、今どうしておられるのだろうか。「5年間の東京・横浜生活、おつかれさまでした!」と書いてあり「よ」というサインがしてある。「よ」さん、心のこもった絵を描いていただき、ありがとうございました。

  (2010.08.06 朝日新聞「声」掲載)岩国エッセイサロンより転載

「初体験」

2010-08-07 16:01:43 | 岩国エッセイサロンより
2010年8月 7日 (土)

岩国市  会 員   林 治子

動物病院で外耳炎ですかと聞く。診断の結果、そうではないと言われ、ホッとした。体重を量ることになった。柴犬のくせに用心深い。体重計に乗るかどうか心配。怖いのか、いくら引っ張っても動こうとしない。とうとう大声で「早う乗らんね」と一喝した。ビクッとして怖々と足を乗せた。やれやれ。

えっ、よく見ると右後ろ脚一本で踏ん張っているではないか。体重計が動くのを心配でストッパーをかけているつもりらしい。しっぽを握って引っ張り上げ、やっと乗せた。みんなの笑い声と拍手。得意そうな顔に変わっていた。
 (2010.08.07 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

「はんぶんこ」

2010-08-07 15:57:40 | 岩国エッセイサロンより
岩国市  会 員   吉岡 賢一

丹精して育てた収穫目前のスイカが何者かに襲われ、ほとんど食い荒らされた。初めての苦い経験だった。それから1週間、2番なりのスイカがまた大きくなりはじめている。

スイカ泥棒の鋭いつめや牙から守るため、金網で円筒を作り、その中に実と茎を入れてフタをした。全く罪のない青いスイカが、まるで罪人扱いだ。ここまでやっても、いったん味をしめた彼ら、次はどんな手を使って襲ってくるのか。

 おいしいものを食べたいのは、お互い様だ。少しだけでいい、孫にも味わわせてやってくれ。
 (2010.08.06 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

霧島国際音楽祭へ

2010-08-05 22:46:09 | アカショウビンのつぶやき
 鹿児島の夏は、霧島国際音楽祭で始まる。
 
明日は、「能舞台で聴く<四季>とチェロの響き」コンサートに行ってきます。

能舞台でクラシックを聴く……って、どんな響きなのだろう。
曲目は、ヴィヴァルディの四季とドヴォルザークのチェロ協奏曲。
2曲とも、ポピュラーな曲なので、肩を張らずに楽しめそう。



室内楽が好きだった夫は、気に入ったプログラムを選んでは、大学在学中の子供たちの帰省に合わせ、霧島国際音楽祭に行くのが夏の一番の楽しみだった。
当時は霧島のホテルで開催されていたので、コンサートを楽しみ温泉に入り、親子でテニスに興じる。と言うのがおきまりのコース。

待ちに待った<みやまコンセール>開館の翌年に、彼は旅立ってしまったので、残念ながら、みやまコンセールには一度行ったきりだった…。

彼の最期は、リスニングルームにベッドを入れ、好きな音楽に囲まれて旅立ったが、今もどこかで聴いているのだろうか…。


霧島国際音楽祭も当時とは様変わり…。

メイン会場は<みやまコンセール>だが、鹿児島市や地方の町、教会コンサート、かがり火コンサート、管の祭典、ワンコインコンサートと盛りだくさんのコンサートが続き、8月8日のファイナルコンサートで幕を閉じる。


今年の音楽祭は私にとって記念すべきコンサートとなりそう。
コミュニティーFMで放送した番組が取り持つ縁で、番組出演者・卓也くんと、チェリストの堤剛氏とのご対面が叶うことになった。本当に夢のような話。

いよいよ明日に迫った。
私まで興奮気味ですが、行って参ります。

「苦い思い出」

2010-08-05 22:43:41 | 岩国エッセイサロンより
2010年8月 2日 (月)

   岩国市  会 員   檜原 冨美枝

 「アーン、アーン。なんで起こしてくれんじゃったん」。二男は泣き叫んだ。今年こそは完全無欠を決めていたらしいが、親の不注意で遅れ、近くの小学校の校庭ではすでにラジオ体操が高らかに鳴り響いていた。

 子供心にも初日が大事と考えていたのだろう。家族8人の朝食の準備に追われて、気が付けば約束の時間を過ぎていた。いくら謝っても聞き入れない。大切な子供心を踏みにじった親の責任は重い。

 ついに祖父母の提案で、動物園行きの約束をし、何とかことなきを得た。50年前の夏の日の暑い思い出。
  (2010.08.01 毎日新聞「はがき随筆」掲載 岩国エッセイサロンより転載

消えぬ記憶

2010-08-05 22:28:11 | ペン&ぺん
 女の人の手を、必死に握りしめた。
 首までつかる泥流の中、片腕で電柱を抱いていた。水の深さは、彼女の身長を超えていた。息をとめて潜水するようにして、より高台にある電柱を目指す。「行くよ」と声をかけながら。
 流れは急だ。所によっては、渦を巻いている。見上げると、マンション3階のベランダから手招きする人がいる。「こっち、こっちへ」。助けようと叫ぶ声。
1993年8月6日。世に言う8・6水害である。
   ◇
 その日の夕刻。甲突川近くの食堂にいた。店には、そこそこ客がいた。
 甲突川氾濫の知らせが入り、店外へ避難することに。店の人の誘導で外に出ようとするが、ドアが開かない。すでに雨水が押し寄せ、ドアの外から水圧がかかっていたからだ。
 何人か力を合わせて、ようやくドアが開く。店内にどっと水が流れ込む。女性客の悲鳴。押し流されるテーブル。記憶は断片的だが、一つ一つは奇妙なほど鮮明だ。
 一気に水かさが増し、ひたすら避難すべき場所を探す。ちょうど大久保利通の像のあるあたり。そこが、わずかに土地が高く、避難した人であふれた。みな表情を失い、ずぶぬれだった。疲れ切って途方に暮れていた。
    ◇
 以上は、深夜、帰宅途中のタクシーの中で、運転手さんから聞いた体験談である。
 鹿児島支局が入っている鹿児島市西千石町のビルにも、8・6水害を示すものがある。1階駐車場の壁。そこに「H5・8・6」と書かれ、浸水した雨水の高さを示す赤いラインが引いてある。地面から56㌢。私のひざ上が水につかる位置だ。
 今年も8月6日が近づく。赤い線は、すでに薄く、所々消えかけたようにも見える。しかし、被害に遭った人たちの記憶は消えない。
 鹿児島支局長・馬原浩 2010/8/4 毎日新聞掲載

嬉しい雨

2010-08-05 17:42:14 | はがき随筆
 雨がやんだのを見計らってホームセンターに行った。買い物を済ませ、外へ出ようとしたら急にまた雨がザーッと降ってきた。傘も持たず、両手には、荷物をたくさん抱えている。走るに走れない……。困っているとホームセンターの女性の従業員の方が傘を一本差し出して「どうぞ使ってください。車まで荷物も持ちますよ」と笑顔。私のさした傘を受け取るとお辞儀をしながら「お気を付けて」。私も「ありがとうございました」とお礼。
 今流行のコンビニのマニュアル挨拶とは違う温かみを感じて嬉しかった。
  垂水市 宮下 康(51) 2010/8/5 毎日新聞鹿児島版掲載

夫婦モミの木

2010-08-05 17:31:15 | はがき随筆
 抜けるような青い空。やっと梅雨明けらしい。青い田んぼが広がる。旧家の庭に2本のモミの木が、寄り添い、背伸びをしている。青空に映えて本当に美しい。優に35㍍はあるだろう大木である。
 その2本のモミの木を「夫婦(めおと)モミの木」と呼び、私たち夫婦も、散歩の途中、元気をもらっている。モミの木も、この地に生を受けて何百年になるのだろう。私も、この地区に、ひとかたならぬお世話になり、57年目になる。この地域に育った多くの青少年たちを「頑張れ」と優しく静かに見送ってくれたことだろう。「将来に、幸あれ」と。
  伊佐市 宮園続(79) 2010/8/4 毎日新聞鹿児島版掲載

ヘイ、ブル娘

2010-08-03 19:01:04 | はがき随筆
 鹿児島の家は長女に任せていました。彼女の一家がモロッコ(マラケシュ)に引き揚げる時のことです。
 家のすべてを処分していいとは言ったものの、行ってみて驚きました。
 「家財道具はトラックで処分場に運んだよ。家は不動産屋さんと交渉中よ」
 「はあ……」。よくも1人で出来たものだと絶句。ブルドーザーのような娘です。
その彼女が夏休みに帰省します。さあ、片付けなくちゃ。「おばあちゃん、捨てられないように、ベッドにしっかりしがみついているのよ」
  阿久根市 別枝 由井(68) 2010/7/3 毎日新聞鹿児島版掲載

ネコ派文士百間

2010-08-03 07:54:57 | はがき随筆
 内田百は、明治、大正、昭和を思いのままに生きた。
 好きな鉄道の旅なら借金もする。「阿房列車」では、一等車に乗るとすこぶる機嫌が良い。目的のないぶらり旅だが、旅先での対話や光景の描写で、旅の楽しさや意味を教えてくれる。
 百は頑固だが優しい。飼い猫ノラが帰らないと、何も手につかず狂い死にそう。ノラ探しのビラは英文も含めて4回。1年余り待つのだが……。「ノラや」や<わかれ霜 猫連れ立ちて 通りけ里>の句には泣かされた。
 百は芸術院への推薦を「イヤダカラ、イヤダ」と拒んだ。その反骨精神にしびれる。
  出水市 清田文雄(71) 2010/7/2 毎日新聞鹿児島版掲載

待っていますよ

2010-08-01 16:56:49 | 女の気持ち/男の気持ち
 3ヶ月前、校門に表札と並んで横60㌢、縦35㌢の白い看板が掲げられた。
 《城南中学校「夜間学級」城南中学校では、さまざまな理由で十分に義務教育を受けられなかった方々が、月曜日から木曜日までの午後7時から9時まで、小・中学校程度の勉強をしています。勉強はボランティアスタッフが教えています》
 問い合わせ先は北九州市教育委員会である。
 たかが看板、されど看板。私自身も身体障害を理由に義務教育を2年ほどしか受けられなかった。定時制高校にたどり着くまでコンプレックスの塊だった。北九州にも夜間中学、誰でも学べる場が必要と信じ、活動を続けてきた、その結実の一つがこの看板である。
 10年ほど前、小坂の夜間中学へ見学に行って、校門の「夜間中学があります。誰でもいつでも入学できます。お金はほとんどかかりません」という看板に感激した。義務教育を十分に、あるいは全く受けられなかった人にとって、学校は憧れと同時に恐れでもあって、門をくぐるのに勇気が要る。自分なんかが入れるのだろうか、誰かにとがめられるのでは、と。その時、看板があればどれほどの力づけになることだろう。
 もし今、看板を前に迷っている人がいれば、声をかけてあげたい。入学資格はただ一つ。あなたの「勉強したいという思い」です。生徒とスタッフ、みんなで待っていますよ。
  北九州市 佐藤香代子(60) 2010/7/31 毎日新聞の気持ち欄掲載

夏休みの思い出

2010-08-01 16:50:46 | はがき随筆
 42日の長い夏休みに入った。樹木の先が空へ向かって伸びて行くように、子供たちが成長していく季節。私の遠い記憶が浮かぶ。モクモクとわき上がる入道雲の先に、小学校低学年のころ、特別な経験をした思い出が走馬燈のように巡る。
 いとこたちとの再会、高須海岸での海水浴、植物採集、家族総出の早朝の稲刈り、夏祭り……。勉強などしなかった休みも終わるこる、慌ててやり残した宿題をどうにか仕上げた。ほぼ毎日続いたのは、絵日記ぐらい。十分に遊んだ日々に満足し、長い夏休みもアッと言う間に終わった。
  鹿屋市 田中京子(59) 2010/8/1 毎日新聞鹿児島版掲載

くじ

2010-08-01 16:43:34 | はがき随筆
 「まあさ、ドラゴンボール買って」。保育園の夏祭りで、園児たちの出番が終わると自由時間になり一斉に出店へ駆けていった。焼き鳥、かき氷、おもちゃ屋とごった返す中、5歳児のノアは私を引っ張って母親からもらった「くじ券」をお店の人に渡した。
 当てたのは等外で、彼の望むものではなく、またたく間に涙を目にいっぱいためた。「くじ」の意味をまだ知らないノアだった。
 その後「引換券」を持って、フランクフルトの店へ走った。「当たった!」と満面の笑みを浮かべて帰って来た。
  薩摩川内市 馬場園征子(69) 2010/7/31 毎日新聞鹿児島版掲載