このページは長崎市在住おたくささまの
おたくさ日記からお借りしました。
被爆後65年、戦争を知らない世代が多くなりました。
地球上から核兵器をなくすために、私たちがその悲惨さを語り継いでいかねばなりません。
1945年8月9日午前11時2分。
長崎は原子爆弾の投下をうけ、一瞬にして焼け野が原となりました。
戦後65年経っても被爆地の思いは届かず、核の脅威は広がるばかりです。
長崎から、“おたくさ”の思いを画像に込めました。
ご自由にお持ち帰りいただき、
多くの人に平和への関心を広めていただければ嬉しいです。m(__)m
平和祈念像
平和祈念像は被爆10周年にあたる1955年8月に完成しました。
垂直に伸ばした右手は原爆の脅威を、
水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っています。
長崎の平和運動のシンボルとなっています。
(2010年)
平和の泉
水を求めながら亡くなった原爆被爆者の冥福を祈って、
1969年につくられました。
碑文には
『のどが乾いてたまりませんでした
水には油のようなものが一面にういていました
どうしても水がほしくてとうとうのみました』
と刻まれています。
噴水の形が変わるのは、平和の象徴とされる鳩の羽ばたきと、
「鶴の港」と称される『長崎港』をイメージしているそうです。
(2010年