はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

見えないもの

2011-08-29 21:47:27 | ペン&ぺん

 「日本は、原発という植民地をつくって、生活しているのではないか」
 そんな趣旨の問いかけをノンフィクション作家、佐野真一氏がニュース番組で語っていた(23日、報道ステーション)。
 確かに原発で働く労働者の作業環境の過酷さは一般の人々には見えにくい。一方で原発が生み出す電力が、24時間営業のレストランやコンビニに象徴される生活を支えている。コンビニの商品棚の照明から、原発を想像するのは困難だ。華やかさが何かを隠しているのか。
  ◇
 英国・リバプール。ビートルズを生んだこの港町が、もともと奴隷貿易で栄えたことは余り知られていない。
 18世紀半ば、リバプールは奴隷貿易の拠点だった。しかし、リバプールに奴隷の姿はなかった。
 英国を出る船は、日用品などを西アフリカ沿岸部へ運ぶ。そこで、積み荷とアフリカ人奴隷を交換する。船は中米・西インド諸島へ行き、奴隷を降ろす。現地でサトウキビやタバコなどを栽培する労働力として奴隷が使われる。船は砂糖やタバコを積んで母港リバプールに戻る。いわゆる三角貿易だ。
 植民地から入ってくる農作物は見える。だが、それが奴隷によって生産されたことは消費者の目には隠されている。見えざる植民地だ。
 そのリバプールに奴隷貿易を反省する資料を展示した博物館がオープンしたのは2007年。奴隷貿易廃止から約200年が経過していた(井野瀬久美恵著「大英帝国という経験」など参照)
  ◇
 福島第1原発の事故が終息しない。もし、佐野氏が言う通り原発が「見えざる植民地」だとするならば、それをどうするか判断するのに200年も時間をかける訳にはいかない。
 見えないものを想像し議論していくことが求められている。
  鹿児島支局長・馬原浩 2011/8/29 毎日新聞掲載

はがき随筆8月度入選

2011-08-29 11:44:22 | 受賞作品
 はがき随筆7月度の入選作品が決まりました。
▽鹿児島市真砂本町、萩原裕子さん(59)の「夫の感官のすべて」(12日)
▽姶良市西餅田、山下恰さん(64)の「私がいつも…」(25日)
▽出水市高尾野町上水流、松尾繁さん(76)の「すまなかったね…」(31日)

───の3点です。

 すでに旧聞かもしれませんが、なでしこジャパンの優勝戦には感激しました。とくに、帰国記者会見の時の選手達の美しさに目を見張りました。街で見かける玉簾をぶら下げたようなツケマツゲも、生き血を吸ったようなクチベニもテレビCMの爬虫類の肌を思わせるハダゲショウもなく、内面の精神のあふれ出た美しさに輝いていました。
 萩原裕子さんの「夫の感官のすべて」は、寝たきりで視力も衰えたご主人にラジオを勧めると「生きている時間を感じているから」と断られたという内容です。そのような状況のご主人の精神を尊敬するのも、ご主人の感官のすべてをしりたいというのも、希有な美しい愛情でしょう。
 山下恰さんの「私がいつも…」は、汗だくで草むしりをしている人に労をねぎらうと、「私がいつも歩いている道ですから」という返事、雑草に文句ばかり言っている自分が恥ずかしくなったという内容です。恥ずかしさを感じ、それを表出できる間は、まだ大丈夫だと思います。
 松尾繁さんの「すまなかったね」は、車庫のツバメの巣が猫に狙われた。車の位置を動かして守ってやったが、つい油断してまたやられた。ところが3度目のヒナが無事飛び立ったという内容です。小さい命を守ることに右往左往されているところに、懐かしさを感じさせる文章です。
 この他に3作を紹介します。
 出水市高尾野町柴引、清田文雄さん(72)の「ベルよとまれ!」(13日)は、扱いなれないケータイの防犯ベルが止められなくて、駅のホームの一同が大騒ぎをして止めたという逸話です。
 同市武本、中島征士さん(66)の「消えた?」(4日)は、風呂場の床をシャクトリ歩行している虫に近親感を抱いて、流してしまわないように注意していたが、いつのまにか消えていたという内容です。阿久根市大川、的場豊子さん(65)の「もったいない」(24日)は、スリムな福を捨てられなくているが、料理の残りももったいなく食べるので肥ってしまって、その福を着る時は来そうにないという内容です。
(鹿児島大学名誉教授・石田忠彦)

還暦祝い

2011-08-29 11:37:53 | はがき随筆
 テレビのCMで、かつて人気が出た金さん銀さんの双子の姉妹は、100歳という年齢と名前のユニークさがあったのだろう。
 それにあやかろうと双子姉妹の合同還暦祝いが、あるホテルであった。2人とも還暦祝いというより、厄よけであろうと間違うほどの若さをアピールしていた。
 締めは妹の主人が金さん銀さんを超えて欲しい旨の話をされた。
 この姉妹の名前は親の思いを込めて幸代・福代となづけられており、2人合わせて「幸福」となる。
  鹿児島市 下内幸一 2011/8/20 毎日新聞鹿児島版掲載

被災者支援の寄付金切手に温かさ

2011-08-26 22:24:29 | 岩国エッセイサロンより
2011年8月26日 (金)

   岩国市   会 員   片山 清勝 

 郵便局の窓口でいつも買い置きする3種類の切手を求めた。局員は切手の種類を確認しながら「80円はこちらでどうでしょうか」と、別の図柄を示された。

 見れば「80+ 20」とあり、東日本大震災の被災者支援のため発行されている寄付金付きの特殊切手だ。

 80円切手に20円の寄付金がついて1枚100円。6月から売られているという。震災地支援と聞けば年金生活者とはいえ、後へ引けない。10枚購入した。

 未曽有の被災地復興にはそれに見合う財源が必要だ。今、国の本格的復興への道筋がやっと見え始め、これから期待するところとなる。この切手は来月30日までの限定販売。切手1枚からの支援も積み重なれば「輪」が広がり、力になるだろう。そう思うと小鳥や花、ハートをあしらった図柄に温かさを感じた。

 大地震、津波のみならず、福島第一原発事故に伴う放射能汚染の中での復興は報道で知る限り容易ではない。被災地から遠く離れており、手の届く支援は何も出来ないが、早い復興を心から願っている。

  (2011.08.26  朝日新聞「声」掲載)岩国エッセイサロンより転載

「夫には私こそ私には夫こそ」

2011-08-26 06:38:29 | 岩国エッセイサロンより
2011年8月25日 (木)

 岩国市  会 員   山下 治子   

40代後半、2年の約束で夫は単身赴任した。が、すでに10年が経つ。赴任当時はまだ働き盛り、食べるより飲むことで胃袋を満たしていた夫は、かなりな勢いがあった。

 だが近年、体調不良を訴えさっぱり元気がない。一人暮らしは偏食がちで、脂肪、糖分、塩分と仲良くなり、検診の数値は基準を上回ってしまった。たばこをやめ、ついに酒も控えはじめた。

 それより前は、たとえお産であっても家族が離れて募らすことはしなかったが、子どもの成長や親の事情とあれば、致し方ない。家族のためと分かっていても、単身赴任はやるせなさが日々つのる。夫は精神面でも変調をきたした。医師から「10年ですか……。よく頑張っておられますね」と言われ、肩の力が抜けたようだった。

夫専属の家政婦兼介護人として、極力夫の元に出向く。合間には手料理を冷凍して送り、家族割り引きサービスの携帯電話で存分に会話する。子どもたちは「まるで遠距離恋愛やな」と笑うが、小気味よいその食べっぷりたるや、夫のスタミナ源は私だと思うのだ。

 赴任先の名物は、ひつまぶし。土用の丑の日、外食に誘ってみたが、「君の食事がいいんだ」と一言。夫の一言はうれしい私のスタミナ源となっている。
  (2011.08.25 朝日新聞「声;テーマ『スタミナ源』掲載」岩国エッセイサロンより転載

ぼちぼち読書

2011-08-23 14:33:42 | ペン&ぺん
 ドリトル先生は「やぶ医者」だった。
そんな説が岩波少年文庫「ドリトル先生アフリカゆき」の巻末に出てくる。児童文学者、石井桃子さんの文章に「もし無理に訳したら(ドリトル先生は)やぶ先生というような名前になるかも」との指摘がある。
 ドリトル先生のスペルは、DOLITTLE。リトル(ほんの少しだけ)ドゥー(します)。つまり、ほとんど(診察)しないヤブ医者という語感が隠されているらしい。
 むろん、そこは物語。ドリトル先生は動物の言葉をあやつって病気を治し、機知を効かせて悪い海賊から船を奪う。ほとんど何もしないという訳ではない。
 ヒュー・ロフティング氏の原作を井伏鱒二さんが訳した際、主人公の名前をローマ字読みにしたようだ。なるほど「やぶ医者先生アフリカゆき」ではタイトルとしても、締まりが悪いですよね。
   ◇
 ドリトル先生にも登場する海賊。歴史的には鹿児島の近海にも出没したらしい。
 時は1601年。中国・明の船が薩摩に到着直前、海賊に遭遇し沈められた。海賊行為を働いたのは山川に住んでいた堺の商人、伊丹屋助四郎とされる。琉球新報新書「薩摩侵攻400年 未来への羅針盤」に、そんな記述が出てくる。
 幕藩体制が確立する前の殺伐とした時代とはいえ商人が海賊行為とは。なんとも手荒なこと。しかし、そこは史実。さしもの明の船には海賊を退治するドリトル先生は乗っていなかった。
   ◇
 さて、節電の夏。クーラーの設定温度は高めにして本でも読んでみますか。あくせく焦らずに。夏休みの子どもたちも、ドゥー・リトルで、ほちぼち読書も良いかもしれません。
 毎日新聞社は今年も青少年読書感想文コンクールの作品を募集しています。どうぞ、ご応募を。
  鹿児島支局長・馬原浩  2011/8/22 毎日新聞掲載

「下流の宴」の希望

2011-08-23 06:45:06 | はがき随筆
 この新聞小説は2年前に289回載る。感動して随筆に。幸い切り抜きを残しており再読している。
 今回NHKで作品が8回放送され、小説と異なる映像シーンが残る。母親願望の3時代に人生の階段を失った主人公の寂しい横顔、珠緒さんが医学部への厳しい入学努力に拍手する。主人公が将来に一転し新しい発見を希望したい。
 玉緒さんが面接で「私は誰よりも貧乏を経験しています。医者になれたら貧しい人のために尽くす医者になります」の言葉は、今少し元気のない日本に希望の活力をくれる。
  鹿屋市 小幡晋一郎 2011/8/19 毎日新聞鹿児島版掲載

「桃作りし農家の苦労分かった」

2011-08-21 08:49:52 | 岩国エッセイサロンより
2011年8月20日 (土)

岩国市  会 員   横山 恵子

知人に桃の木を見せてもらったことがきっかけで、私も自宅の庭に木を植えた。「桃栗三年柿八年」のことわざ通り、植えてから3年後の08年に実が1つなった。

 09年は「今年こそたくさんの実を取りたい」と思って世話をしたが、実が付き始めた頃、葉や幹に大量のアブラムシが発生し、小さな実は大きくならずに傷んでしまった。10年はアブラムシに加え、アリやカラスにもやられ、一つも熟した実を取れなかった。

今年はインターネットで桃の木の管理方法や防虫について調べてみた。そして、実に袋をかける必要があることを知った。袋をかけると共に、日に何度もアブラムシなどを駆除し、虫よけに薄めた酢を霧吹きで葉や幹に吹き付けた。

その成果か、一部に虫食いはあるが、20個ばかり収穫できた。さまざまな作業を通じて農家の苦労を少しでも知ることができたと感じている。これからは市販の農産物も農家に感謝しながらいただこう。

(2011.08.20 毎日新聞「みんなの広場」掲載)岩国エッセイサロンより転載

夜汽車の窓

2011-08-20 14:50:20 | はがき随筆
 蒸し暑い夏の夜。「今日も何もしなかったなあ」。私はアパートの窓を開けて外を見た。
 星はまたたき、雲はゆっくりと流れている。私はいつしか子供のころの夢を見ていた。
 僕は小学1年生、70年も前の僕です。ゴトン、ゴトンと揺れる夜汽車の窓から田んぼの向こうに、ちらほらと家の明かりが見えて来た。
 「母ちゃん、あれだよね、ばあちゃんっ家、だね?」
 「違うよ、まだ着かないわ。もっとデンキが増えてからよ」
 目を覚ました私はフッとため息をもらしていた。この70年で何を得て何を失ったのか。
   鹿児島市 高野幸祐 2011/8/18 毎日新聞鹿児島版掲載

「水やりをお願いして」

2011-08-20 09:34:17 | 岩国エッセイサロンより
2011年8月19日 (金)

       岩国市  会員  山下治子

 半月ほど家を留守にすることになり庭の植物の世話に困った。特にプランターや鉢の花たちは手が抜けない。

 「忙しい」と主張する息子たちでは心もとない。「朝夕の水やり、10日間お願いできる?」。知り合いの近所の小学生と交渉が成立した。

 帰宅すと、グリーカーテンのアサガヲやゴーヤ、庭の花々が生き生きと咲いていた。草まできれいに引き抜いてあった。。

 夕方、最後の水やりに来た彼を「大変だったね」とねぎらい、約束のお金を入れた封筒を手渡した。「あと少しで、ほしかったサッカーシューズが買える」。表情を輝かせながら、貯金していることをうれしそうに話した。

 私はとっさに「そうだ、これは草引き文ね」と封筒に心ばかりの「ボーナス」をいれた。「草は……お母さんが……」。困った顔をする彼に「大丈夫。お母さんにもあるのよ」とお土産を持たせると、「ありがとう」と大きくお辞儀をして急ぎ足で帰って行った。

 あす咲くだろう朝顔のつぼみをながめながら、息子たちの幼いころを、ふと思い浮かべた。

          (2011,08,19 朝日新聞「ひととき」掲載)岩國エッセイサロンより転載

「なんで」

2011-08-19 16:02:48 | 岩国エッセイサロンより
2011年8月19日 (金)

岩国市  会 員   樽本 久美

「2人とも仲良しですか? 元気で仲良くね」とのはがき。10年前に行った「山口きらら博」から、私が書いたはがきが、両親の元に届いた。母は「よく遊びに来るのになんで」と不思議に思ったようだ。

 昔はよく旅先からはがきを出した。スタンプや切手も、その土地にふさわしいものを選んで送った。今はあまり書かなくなったが。母の引き出しには、私が大学時代に送った手紙や、母の日のメッセージカードまで保管されてあった。母親とは、なんとありがたいものだ。大学時代、母の小包には必ず手紙が添えられていた。

(2011.08.19 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩國エッセイサロンより転載

キジバト観察 その2

2011-08-18 18:13:16 | アカショウビンのつぶやき




キジバトニュースばっかりでスミマセン。

飛びます、飛びます!
梅の木に止まりました。余裕の表情です。
カメラを気にする様子もなく、いっちょまえに、羽繕いやってます。

さっきは、親鳥が古巣に戻っていました…と思ったのですが、
もしかしてあれはヒナだったかな。

巣立って自分で餌を取れるようになるまで、危険が一杯なんですね。

保護者の役目はこれで終わりました。

ホッとしているアカショウビンです。



キジバト観察 その1

2011-08-18 15:26:48 | アカショウビンのつぶやき

昨日のキジバト。うずくまったままです


今朝のキジバト、羽ばたき練習で疲れたみたい


旅から帰った翌日、一度見たきりでその後、全然姿が見えないキジバトのヒナが心配でした。

昨日、コーラスから帰ると、よちよち歩きのキジバトが植え込みから出てきて、びっくり。

大きさは大人なみ、羽根も生え揃っているので、ヒナとは思えません。 
然し、よちよち歩いて逃げようとはしますが、近づいても飛び立てないのです。

しばらく観察していました。
とうとう玄関前ににうずくまり、眠そうに目をつぶるではありませんか。
怪我? 病気? それとも我が家で産まれたヒナ…。
外には野良猫の鳴き声もします。このままじゃ危ない!
でもどうすることもできません。
私が動くと、ヒナはまた植え込みに入っていきます。カメラを向けてもじっとして…。

蚊が寄ってくるし、観察タイムを終了して庭の水まきを始めました。
すると、いつの間にか姿が見えなくなりました。よかったぁ! 飛べたんだ!

今朝は、キジバトが早朝から鳴いています。
そーっと覗くと、なんと植え込みの中に2羽のキジバトの姿がありました。

昨日のヒナと親鳥です。授乳中だったのかもしれません。
私に気づいた親鳥は物干し竿に飛び移り、ヒナの巣立ちを促しているようでした。

しばらくして外に出て見ると、もう親鳥の姿はありません。
ヒナの脚は昨日よりしっかりして羽ばたきも始めました。
姿は親鳥と変わりませんが、羽ばたくと羽根の下は、もじゃもじゃ羽毛のヒナの身体です。
ああ、今日も野良猫が鳴いています。

まもなく、友人がパソコンを下げてやって来ました。午前中は、キジバトを観察する暇もなく、アラセブンのティーチャーもどきで頑張りました。

午後庭を見回りましたが、どこにもヒナの姿はありませんでした。猫に襲われた形跡もありません。無事に巣立ったようです。

キジバトの観察は終わりました。ここ一月あまり、少々の不便はありましたが、古巣は健在です。
また、子育てに使ってくれないかなあ。

と、心待ちにしている、アカショウビンです。

成長見っけ!

2011-08-17 10:51:44 | はがき随筆


 小学4年の孫娘がこの夏休みジュニアパイロットで帰省。空港で会うなりその日焼けぶりに驚く。水泳に夢中らしい。また授業で星座を勉強していることやエコライフに挑戦していることなど車中での話は尽きない。節電節水について子どもとも思えないくらい熱く語るので「偉いなあ」と相槌を打つと、たちまち木に登る4年生です。
 滞在1週間。私の庭先園芸でとれたカボチャのポタージュやピーナツ豆腐、野菜炒めの卵とじなどで満足し、帰洛の折には、タマネギ、ナス、ピーマンを持ち帰ってくれた。エコライフに目覚めた孫に成長を見つけた。
   鹿屋市 門倉キヨ子 2011/8/17 毎日新聞鹿児島版掲載

地デジ難民万歳

2011-08-16 10:52:23 | はがき随筆
 とうとうテレビのアナログ放送が終了した。
 そこで気づいたのは、テレビがないと夜の長いこと。
 新聞をじっくり読んで、本を読んでも、まだ9時半。
 早めに床について、私の得意技。
 頭のなかで、世界旅行を夢想するうちに、本当に夢の中へ。
 実は、テレビ大好きだったわたしが、いつネをあげるか。
 そんな冷めた目で、夫は見ている。
 NHKの受信料も節約できるし、意地でも頑張ろう。
  鹿児島市 種子田真理 2011/8/16 毎日新聞鹿児島版掲載