風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

豪華な食事は筍御飯 409号

2008年12月02日 09時07分30秒 | 随想
兵庫県西宮市の中心地に楠の巨木の名刹・臨済宗妙心寺派海清寺僧堂があった。しかし平成七年の阪神・淡路大震災で倒壊し赤門が残るのみである。

希望に燃えて就職した会社の新人研修会がこの寺で行われた。3泊4日の僧堂生活だった。ドイツ婦人が社長の洋菓子屋だからキリスト教と思い込んでいたが、禅僧風の専務取締役が経営し、祖先の菩提寺で春見文勝住職と懇意にしていたのが海清寺である。

僧堂生活は厳格で、我侭な学生生活を送った人間には過酷だった。朝5時に起床、座禅、お勤め、法話、境内の清掃の作務、食事そして9時には就寝する単純な生活である。

朝食は小食と呼ばれ、お粥と沢庵。昼は正食で御飯と味噌汁と野菜の煮物の一汁一菜の粗食で空腹感を継続する毎日だった。

仏教の発祥の時代はこの二食が一日の食事だったが、長い歴史の変遷は体力維持の薬として、晩飯を食べる。薬だから非食で、薬石とか飢えを耐える為に抱いた暖めた石に因んで懐石と言う。もちろん精進料理である。

最終日に、春見文勝住職の法話の中で、ご馳走を食べさせてあげると言う。期待を胸に、馬力を出し、座禅し、作務に励んで腹がペコペコだった。

ご馳走は御飯が筍御飯に変わっただけの相変わらずの粗食だった。しかし物凄く美味い筍御飯の印象が強烈に残っている。豪華な食事に思えた。

百円玉から見る千円札、1万円札から見る千円札、同じ千円札でも価値が違うように捉える原因は心の有様である。

おいらの中にはもう一人の素敵なおいら。海清寺僧堂の門前に貼ってあった言葉だった。不満の多い傲慢なおいら、感謝する謙虚なおいら。

だんご鼻の新幹線〇系が引退する時期が来た。〇系が登場した40数年前の話である。おいらも間も無く俸給生活を定年退職する。無からスタートした〇系が無に帰する。真理である。


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