風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

じゃん・だら・りんの三河弁 408号

2008年11月30日 06時41分08秒 | 随想
「三河てやぁ、男川・豊川・矢作川じゃん」  「蒲競で万舟当てただに。いいだら」  「三平鮨、食べりん」  
じゃん・だら・りんの三つの語尾は三河弁を代表する表現である。

三河弁の「食べりん」を名古屋弁で話すと「食べや」になる。
「もれとらっせるがね」「ちぃーと こすにゃあーか」「まぁちぃと つめたって まえんかな」「あたっとるがね」は名鉄電車の中吊り広告である。車内マナーの向上を啓発する名古屋弁である。

標準語を善とする戦後の文部科学省の教育方針は日本文化と心を東京優先のモノカネ万能主義に洗脳した。

愛知県では万札を両替する時に、「万札を崩して」とか「万札を壊して」とか表現する。しかし意味を理解できない人種が多く存在する。三重県では「万札を細かくして」とか「万札を増やして」とか表現する。標準語は金融経済を崩壊させたのである。

各所に地域の独特な言い回し、方言が存在する。異なる自然環境で生活する人間の心の表現である言葉は違うのが自然なのである。標準語で統一する国の方針は無理がある。巨大政府は統一する些細な事を、針小棒大して国税を浪費する巨大犯罪を犯している。発生の由来を教え、理解させる事が諸々の歴史問題を解決し、豊かな心を教え育むから教育と命名した。教育は多くの思想を伝授することである。人間を教育出来るのは家族長老の常住坐臥である。学ぶとは真似る事である。

金儲けの先進文化の都会として東京に人々が集中することが最善なのだろうか。貧しい田舎には緑豊かな山河と伝統文化がある。日本全国に分散土着して、地域文化を守ることは大切な思想と思うのである。善悪・優劣・勝負・美醜等々、人間都合の有用価値二元論に決別する時が来た。神仏の判断は、善にも悪が有る、悪にも善が存在すると考える。

水も流れず停滞すると腐る。三割の田舎を守る農耕民、三割の都会の金の狩猟民、三割の都会と田舎の風来坊。多種多様な人類が役割分担する複雑な社会は、金の亡者集団の一極社会より強靭であると思うのである。

単純生活する雑多な人間が存在する複雑な社会を政治する事は至難で個人では務まらない。多くの英知を結集するのが政治である。

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