風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

名物 72号

2007年05月03日 09時38分40秒 | 随想
落語「目黒の秋刀魚」を聞いて、その土地の名物が出来る理由がわかったのである。秋刀魚は宮城県女川漁港や気仙沼漁港・千葉県銚子漁港など水揚げ漁港の近くが鮮度も良く、美味い筈であると思うのが常識である。何故、殿様は 東京目黒の爺が茶屋のような海から遠い内陸の秋刀魚が美味と言うのだろう。頭で考え過ぎて、こねくり返す調理法より、素材のよさを素直に出す簡単な・素朴な料理とやはり空腹が最高の調味料である。
夏に、飯田市のワーキングホリディーで果樹農家に泊り込みで手伝ったことがある。農場の炎天下で労働して汗をかき、昼食に食べた丸汐烏賊ときゅうりの塩もみが美味かった。丸汐烏賊は飯田の名物である。欠乏する塩と水分を補給できるから、死なないで活き続けられる安心がある。農家の激しい労働が生み出した名物である。烏賊好きな飯田界隈では煮烏賊も名物である。わさび醤油で食べると酒が進む。
京都の名物は塩鯖である。若狭湾で取れた鯖に塩をまぶし、夜も寝ないで京都まで運ぶと、ちょうど良い味になっていたと言われ、京の一般庶民に喜ばれ、その到着を待ち望まれたために、これを運ぶ道にさえ、いつしか鯖街道(福井県小浜市から京都市左京区の出町柳)の名が付けられた。運ぶ人達は「京は遠ても十八里」と歌いながら寝ずに歩き通した。遠路はるばる届けてくれた、人のご苦労が、心がご馳走なのである。塩鯖が良い鯵になる。(註釈 味と鯵の掛詞。そして鯵は高級魚で鯖は大衆魚という偏見が垣間見える)
話は好奇心から始まる。そして中国・韓国の真似ではないけれども、歴史認識が大切である。食べ物は、物を食うのでなく、その背後に隠れているお陰・命を戴くのである。食物を口で食べ、胃で消化吸収するだけでなく、脳味噌で諸々の心を頂戴するのである。その為には伝説や神話があると良い。人は空想の世界で遊びたいのである。その事が明日の活動の活力になり、心身の浄化になる。
「名物に美味いもの無し」というが、その土地で食べないからである。名物を宅急便で届けてもらうのでなく、人が名物に向って移動して、名物発祥の環境に身を置かないと、本当の味が解からない。都市の人々は高価なものは美味いという錯覚で、商業主義の奴隷となっているが、本当に美味いものは、自分が走り回り探さないといけない。ご馳走の語源である。苦悩の後には歓喜があるのである。そしてこの世で本当に頼りになるのは自分だけなのである。




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