風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

あなたは一体何者? 240号

2008年03月12日 18時47分35秒 | 随想
風来坊とは、江戸時代中期の博物学者の平賀源内の号「風来山人」が語源のようで、「どこからともなく訪れて来て、どこへともなく去る人」や「ぶらぶらしている人」が意味である。さまざまな思いが心を駆け巡るので、心がぶらぶらするからブログ表題を風来坊としたのである。

行動面では堅実で要領の悪い度胸がない無能者だから、宮仕えは33年間同一会社に世話になり、定年後の再就職先も8年目に入り、来春には定年を迎える。そんな経歴の人間の文章の内容は、固く常識的で意外性がないのである。その反動が風来坊と言わしめる。

ブログ読者の女性から、表題と内容の意外性から、『あなたは何者なのですか』というコメントを頂戴した。そして返答に際し、考え込んでしまった。答えようがない。すでに一年が経過してしまった。

私は男です。女房と3人の息子の親父です。現在年金を支給され、ささやかな仕事をしているが、稼ぎが悪く非難されている。酒の席の幇間役でよく誘われる。カラオケ宴会の人数あわせで呼ばれる。しばしば一人旅に出掛ける。少年野球の4番バッターだった。果樹農家で手伝うことが出来る。などなど断片的に自分を表現できるが、『あなたは何者なのですか』と問われると答えに窮する。

禅の公案に「不思善、不思悪」という無門関の第23則がある。世俗的な利害得失・勝負・優劣など二元的な判断を離脱したときの、私は何者なのだろうか。

「為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは、人の為さぬなりけり」 上杉鷹山が瀕死の米沢藩を立て直す際に、藩の武士階級や藩民に対し立て直しの心構えについて説いた有名な言葉である。

世間的な二元論を離れ、心を空っぽにすると、私の可能性は無限に広がるのであるが、なかなか柔軟な現実対応が自然に出来ないのである。こだわり・かたより・とらわれがまだ残っている。

中日マラソンでオリンピック金メダリストの高橋尚子選手が27位であった。しかし42.195kmを完走した。そんなマラソン人生が国民栄誉賞に該当する活動なのだろう。陰ながら涙したのである。そして心満たされたのである。

高橋尚子さん、マラソンを離れた『あなたは何者なのですか』。自分に優しくなってください。私も『あなたは何者なのですか』の命題を思い続けたい。

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