奈良仏教の僧・道鏡を愛した女帝の孝謙=称徳天皇の後の桓武五十代天皇が援助したのが比叡山の最澄・伝教大師だった。
息子の五十二代嵯峨天皇は高野山の空海・弘法大師を擁護した。そして息子を臣籍降下させる時の姓を源とした。直系の清和天皇の源氏を祖先とする源頼朝が現れた。
天皇に成れなかった別の息子は自分の息子を臣籍降下の時平氏を名乗らせた。桓武平氏の誕生で平清盛の先祖である。桓武を名乗るから親父の遺志を継ぐ比叡山の擁護者なのだろう。
源平合戦の一ノ谷・屋島・壇ノ浦で平氏が敗れ、武者が僻地に落ちて行った。
越中平の相倉郷、上平の菅沼郷、荻町の白川郷、平氏の末裔が作り上げた合掌集落だろう。平湯温泉、これも平家落人の功績で源泉掛け流しでも今でも枯渇する事もない。
合戦は宗教戦争だった。現世利益を追求する源氏、新天地に夢を託す平氏。
最澄の悪事を己に好事を他に与え己を忘れ他を利するは慈悲の極み。実践したのである。負けたのではない。勝ちを譲ったのである。
逃亡者として権力を避け、苦しんだ末に見つけた理想郷、独自の文化が花開く。平湯に浸かって平氏の慈悲に涙した。