風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

心の汚れの洗濯屋 438号

2009年01月10日 10時00分34秒 | 随想
親戚の娘のメールに記述してあるツチノコで思い出した事がある。ビール瓶様の胴体に三角頭にねずみのしっぽの体長40cm。岐阜県東白川村の茶畑で多くの目撃情報があり、その捕獲作戦が村興しの祭りを創造した。平成元年に捕獲報酬百万円でスタート、未だに発見できず金利が付いて百二十万円になった。

昔に村が土地を無償提供し、過疎化の流れに歯止めを掛ける催事に野次馬として参加した体験がある。

東白川村は全国で唯一、域内に寺のない自治体として有名である。

神道の国に仏教が伝来し、聖徳太子が国政の哲学として以来、善意の日本人の活動は仏教と神道を習合した。大日如来の仏教・天照大神の神道は共に太陽を崇める自然宗教の色彩が濃い共通点がある。誕生を象徴する御来光の神道・死を連想する落日の仏教は西方極楽浄土に阿弥陀様を住まわせる。

浄土教の徳川幕府の大政奉還と明治天皇の王政復古の権力移譲の混乱期。神仏分離令由来の廃仏毀釈運動により仏教建造物の多くが破壊された歴史を引き摺っている東白川村では葬式も神社が担当する。

物の汚れは洗剤で落ちるが、神道の心の汚れ、穢れは簡単には取り除けない。神道は大樹の生い茂る清浄な自然環境の祓いの儀式で消滅させようとする。

仏教の心の汚れの表現は、こだわり・とらわれ・かたよりの執着で、その洗剤は座禅で心の洗濯をする。

エデンの園の善悪の知識の林檎を食べたアダムとエバの夫婦以来、心の汚れの苦しみが人類に宗教の道を歩ませる。

人間都合の有用価値論の通用しない地獄谷温泉のお猿さんは自然と同化して生きているから、心の汚れがない。神仏習合した宗教はお猿さんを究極の理想像とする。おいらは1944年生まれの申である。

人間には心の汚れがあるから、国際化社会では、キリスト教やイスラムと習合し、進化し巨大化し闘争する宿命を背負っている。だから宗教は決して倒産しない心の洗濯屋で、不況の時代に布教される。

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