風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

規制緩和を規制すべし 182号

2007年10月14日 19時07分05秒 | 随想
規制緩和とは、市場競争を促進し経済活性化を果たすために採用される、産業や事業に対する政府が法律で自由な動きを許さず、ある範囲内に押さえつけることを緩めることが本来的な意味である。

日本では所謂「親方日の丸」の官僚主義の非効率性が経済成長を阻害しているという議論があり、国鉄民営化・電信電話公社民営化・郵便事業の民間開放・労働者派遣事業・建築基準検査機関の民間開放など実施された。

物志向に批判的な風来坊の私は、不都合に目が向き、嘆いているのである。
国鉄民営化の為に、鈍行列車の旅が不便になったことである。岡崎から京都に普通電車で行こうとすると、JR東海電車到着の数分前に、JR西日本の快速電車は京都に向って旅立っていた。犯人はJR東海新幹線の旅客獲得の陰謀であった。わざと遅らせている。最近はJR西日本の陰謀で、接続がよくなり貧乏人の運賃がJR東海新幹線から流れ、増収になっている。貧乏人を救済する規制は心の優しさである。

電信電話公社民営化の民営化で携帯電話が増加して、公衆電話が無くなってしまった。電話嫌いで携帯を持っていない私が、必要に迫られ電話したくても発見できず、近くの商店で電話を借りると、何か購入しなければならず、電話代の実質値上げになる。携帯電話が無くても生きていける。緊急の時は誰かが電話してくれる。

諸々の不都合を思う時、規制が必要と思うことがある。本当の根性のある男を教育する為には、頬を平手で叩く位の規制緩和が許される。しかし拳骨でどつく事は禁止する規制がいる。PTAの有閑マダムが苦情を述べ、教師を教育することを禁止する規制がいる。

プロの格闘技である相撲の力士を鍛える為に、竹刀で叩く程度は愛の鞭である。しかし金属バットで打ち殺す事は、ただ飯を食われた憎悪で規制されなければならない。その苦痛を知らしめる為には、金の亡者の師匠を金属バットで殴り弟子の痛みを体感させる再教育がいる。

伝統の贈答文化を復活・保存する為に、公務員に盆暮れの挨拶の菓子折り程度は許す規制緩和がいる。しかし見返り欲しさの多額の札束を贈る事を禁止する厳罰の規制がいる。手前味噌になるが、三十数年間、洋菓子屋の従業員で、生活が出来た恩義がある。

一番の規制は公務員の給料を高額にしないことである。官僚主義の非効率性と親方日の丸で倒産の恐怖が無いのであるから、当然である。その待遇で満足して、市民に奉仕できる人を採用すれば良い。ギャンブル性の高い高額の給料を望むなら民間人で能力を発揮すればよいのである。低賃金で身を律して定年になったら、高い年金を支給されても文句は言わない。同等の真面目な勤労者の生涯報酬は同じであると思う。

物文化の経済効果を目指す規制緩和は、心のダメージに配慮した規制を残さないと格差のある二極分化のデジタル社会になるが、種々雑多な価値観が共存できるアナログ社会の為の規制はいる。人にとっての有用価値論の物・金志向が過熱すると、心の荒廃を招く事になる。日本人なら物・金に動じない「武士は食わねど高楊枝」の侍精神があってもよい。

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