風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

捨てて捨てると美味しい林檎 183号

2007年10月20日 13時41分34秒 | ワーキングホリデー飯田
年中行事になった、飯田市座光寺・篠田農園で援農体験をした。10月15日から18日の3泊4日である。昨年から通算10回目になった。林檎ふじに太陽光を照射して万遍なく赤くする為に、日陰をつくる葉を摘み、回転させて裏側を日光に向ける、玉回しの作業である。大地を踏みしめ、時には脚立に登り、終日、太陽の下の仕事は気分爽快である。私の顔も日焼けで赤くなった。

晩冬に剪定して枝を捨て、春には花を摘み捨て、初夏に小さな実を間引いて捨て、最終摘果で捨て、収穫選別して捨て、エリートの林檎が商品になる。90%の林檎を捨てることで、初めて美味しい林檎が出来るのである。そして捨て去られた林檎の旨味を凝縮して持っている。

禅僧の青山俊董老尼の言葉であるが、「化粧するから美しくなるのではなくて余分なものを捨てるから美しくなるのです。座禅とは、何かを身につけることではなくて、どうでもいいものを捨ててゆくことだ。座禅して何を、どう捨てられたか?自己点検の尺度は、常に捨てることだ」
余分なものを捨て去ったら、味のある人間になるのである。

果樹農業も禅も余分なものを捨てるという点で共通点があり、農作業を継続すると、自分自身も余分なものが取れ、美味しい人間になれるようである。農作業は座禅と同様な人生修行なのである。農業は農行である。

枝にぶらさがる林檎の底面は、太陽光が届かないから着色しない。その解決策として巨大な鏡面シート(2mx20m)を地面に敷き詰める工夫がある。林檎の位置と太陽の軌道、入射角と反射角が同じである科学理論を勘案して、シートの位置を決める。風で飛ばないように、地べたを這い蹲って、金具で止めていく。市田柿の収穫加工の終わる11月中旬に、太陽の日差しに晒され、赤色鮮やかな「サンふじ」の収穫が始まる。

日本列島の遥か沖のチリ沿岸はラニーニャ現象であるから、今年の日本は厳冬となり気温が下がる様で、市田柿には好都合である。柿の皮剥きに誘われたので、11月初旬に手伝おうと思っている。朝から晩まで、皮剥きロボット「ムッキー」の操作を担当し、柿の皮を剥きまくる。その作業を遣り遂げた4日後には、私はひと皮剥けた、良い男になっていることだろう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。