風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

散る桜残る桜も散る桜 

2008年04月05日 17時13分39秒 | 随想

春爛漫、桜満開の季節到来である。人間の排出する炭酸ガスなど温暖化ガスにより、季節が変動していると、マスコミが報道するが、寒い冬の後に、桜が咲いている。

桜を尋ねて西東、岐阜県根羽村の薄墨桜、琵琶湖湖岸の海津大崎、飯田座光寺の舞台桜、吉野山の千本桜、高遠城址の桜、荘川桜など、桜狩遍路の経験がある。桜は全て美しく物悲しい。やがて散り果て、葉桜になる。夏の夜空の花火と同じはかない運命である。僅か80有余の人生と重なる。

自宅のある岡崎の桜の美しさに魅了された。岡崎公園、岡崎高校、近所の小児科医院の桜、随所で桜が満開である。わざわざ遠くの桜を尋ねることもなかった。美しい桜は身近にあり続けたのである。桜「散る散る満」開(チルチルミチル)の「幸せの青い鳥」と同じ事である。そのことに気が付かない間は、私は風来坊なのである。

散りは果てた南国の桜を哀れむ岡崎の桜は満開である。北国の桜はまだ蕾で、今に見ていろと虎視眈々と岡崎の桜を見ているだろう。しかし岡崎の桜は間も無く散る桜になり、北国の桜も満開になれば散る桜になるのである。どこの桜も満開になり、そして散っていく。平等であるが、南国は早く咲き、北国は遅く咲く。平等なき差別は不平等、差別なき平等は不平等である。

再三、スターハウスで歌う山川豊の「夜桜」が気に入っている。特に3番の歌詞に涙が出るのである。

二人を掠めて はらはらと 散りゆく春よ 不幸(かなしみ)つれて行け
別れる時は 死ぬ時よ 覚えていてよねと 小指からめる泣き笑顔
馬鹿な奴だよ お前って奴は

満開から散る桜に、人生を重ねる時、死が近いことを知らされ、センチメンタルになる。人間に死があることは真理で、生まれた時に刑の確定した死刑囚なのである。懲役刑が人生と悲観的に捕らえるか、覚悟を決めて人生を謳歌する楽観論を選択するかは、個人の自己責任で決めることで、他人がとやかく言うことではない。人間は例外なく「散る桜残る桜も散る桜」なのである。その意味で平等である。

そして悪人である人間を全て救ってくださるのが、阿弥陀様の本願である。来世は苦しみの無い極楽で退屈な生活がある。苦しみのある現世こそ極楽なのかもしれない。南無阿弥陀仏。


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