少年時代の遠足は、文字通り遠くに足で歩いて行く事であった。近くの神社や河原や里山である。握り飯が唯一の持ち物で、握り飯の無い仲間もいた。終戦後の貧しい時代だった。
6年生の時の遠足は、信越線の蒸気機関車の牽引する列車で、直江津海岸の巨大な船を見て吃驚仰天した印象が甦るのである。子沢山の貧しい家計から旅費を捻出する為の母親の苦労は、当時知ることも無かった。山国の信州善光寺の盆地で、草野球が唯一の遊びであるから、海に鋼鉄製の構造物が浮かぶことが信じられなかった。日本海に浮かぶ巨大船は私の黒船で文明開化であった。当時は情報が極端に少なかったのである。
路線バスは極限られた砂利道を木炭自動車が走るだけで、時刻表通りには決して到着しない乗り物である。乗れたら宝くじに当選したような喜びがある。荷物運搬は荷車である。母校の芹田小学校までは4km程で、上級生に連れられて歩いたのである。毎日が遠足である。冬の雪道は先輩の踏み固めた歩道の雪壁に姿が隠れてしまうのである。
親父との散歩は一度だけで、夏祭りの皿のアイスクリームに感激したのを覚えている。物のない時代だった。本当に涙が出るほど美味かった。
現代の遠足は昔の修学旅行が該当する。そして弁当とおやつ付である。貧富の差が大きい現代は、おやつの金額が制限される。500円以内が相場という。母親はその範囲内でわが息子を物量で優位に立たすべく、死闘を展開する。
争点は、バナナやりんごは弁当の一部か、おやつなのかということである。母親の子供に対する愛情は、より多くの食物を持たせ、他の子供より物量で上位に位置づけることである。残ったら捨てればよい。先生に金持ちの子供という印象を植え付ければよいのである。
疲れて帰った子供に対する質問は、ライバルの子供の持ち物の物量である。子供の旅の印象に対する問いかけは皆無である。子供は旅が嫌いに成り、自閉症に成ってしまう。
遠足と修学旅行の違いは、家族のお土産が無いと遠足で、有るのが修学旅行で、より進んだ平成元禄では、国内旅行が遠足で、海外旅行が修学旅行の様である。
遠足から、足で歩くことは無くなった。足の退化した達磨さんが増え、仏教国に成ったと自慢したら、倒錯した考えである。達磨さんの禅仏教は、肉体の物と心の有様を同等に大切にする教えなのである。物に偏って栄えても、心が貧困なら貧乏人なのである。現代の遠足は心の貧乏旅なのである
四国遍路旅のJR牟岐線で、母親と息子の正装の親子遍路に遭遇した。曲がりくねった線路をゆっくり走ることに、男の子は目を輝かしている。そして絶えず笑顔で会話している。遊園地のジェットコースターと比較してどちらが教育的なのだろうか。くるくる変わる自然の景観を長時間のんびり走る伝統的な鉄道と人工の景色を高速でくるくる回るビッグサンダー・マウンテンの3分間と。経費は同じなのである。
6年生の時の遠足は、信越線の蒸気機関車の牽引する列車で、直江津海岸の巨大な船を見て吃驚仰天した印象が甦るのである。子沢山の貧しい家計から旅費を捻出する為の母親の苦労は、当時知ることも無かった。山国の信州善光寺の盆地で、草野球が唯一の遊びであるから、海に鋼鉄製の構造物が浮かぶことが信じられなかった。日本海に浮かぶ巨大船は私の黒船で文明開化であった。当時は情報が極端に少なかったのである。
路線バスは極限られた砂利道を木炭自動車が走るだけで、時刻表通りには決して到着しない乗り物である。乗れたら宝くじに当選したような喜びがある。荷物運搬は荷車である。母校の芹田小学校までは4km程で、上級生に連れられて歩いたのである。毎日が遠足である。冬の雪道は先輩の踏み固めた歩道の雪壁に姿が隠れてしまうのである。
親父との散歩は一度だけで、夏祭りの皿のアイスクリームに感激したのを覚えている。物のない時代だった。本当に涙が出るほど美味かった。
現代の遠足は昔の修学旅行が該当する。そして弁当とおやつ付である。貧富の差が大きい現代は、おやつの金額が制限される。500円以内が相場という。母親はその範囲内でわが息子を物量で優位に立たすべく、死闘を展開する。
争点は、バナナやりんごは弁当の一部か、おやつなのかということである。母親の子供に対する愛情は、より多くの食物を持たせ、他の子供より物量で上位に位置づけることである。残ったら捨てればよい。先生に金持ちの子供という印象を植え付ければよいのである。
疲れて帰った子供に対する質問は、ライバルの子供の持ち物の物量である。子供の旅の印象に対する問いかけは皆無である。子供は旅が嫌いに成り、自閉症に成ってしまう。
遠足と修学旅行の違いは、家族のお土産が無いと遠足で、有るのが修学旅行で、より進んだ平成元禄では、国内旅行が遠足で、海外旅行が修学旅行の様である。
遠足から、足で歩くことは無くなった。足の退化した達磨さんが増え、仏教国に成ったと自慢したら、倒錯した考えである。達磨さんの禅仏教は、肉体の物と心の有様を同等に大切にする教えなのである。物に偏って栄えても、心が貧困なら貧乏人なのである。現代の遠足は心の貧乏旅なのである
四国遍路旅のJR牟岐線で、母親と息子の正装の親子遍路に遭遇した。曲がりくねった線路をゆっくり走ることに、男の子は目を輝かしている。そして絶えず笑顔で会話している。遊園地のジェットコースターと比較してどちらが教育的なのだろうか。くるくる変わる自然の景観を長時間のんびり走る伝統的な鉄道と人工の景色を高速でくるくる回るビッグサンダー・マウンテンの3分間と。経費は同じなのである。