北海道周遊を終え、津軽海峡をフェリーで渡り青森に宿泊した。翌朝、青森駅で青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸を遠望し、新青森から「はやぶさ12号」で盛岡で下車、秋田から来た「こまち12号」と連結し東京に向かい、320キロで東京から来た「はやぶさ3号」から分離する「こまち3号」に乗車し130キロで秋田に向かう。
途中の田沢湖線下り列車は大曲駅へ上り入線するから下り「こまち」は石北線の遠軽駅と同様にスイッチバックし奥羽本線を秋田に向かう。
秋田からは13時発特急「いなほ」を待たず、12時8分発の542Mに乗車するのは酒田14時発の「快速最上川」で「五月雨をあつめて早し最上川」晴天であるが雪解け水で増水する河岸を新庄に向かう為である。
8月下旬の新庄祭りの屋台のある駅から奥羽本線上り「つばさ150号」で山形、かみのやま温泉「有馬館」に投宿。
宿の近くの上山城に隣接する月岡神社に三つ葉葵の紋を発見、能見松平家が居住した歴史が有る。能見は岡崎の自宅の近くで、意外な発見は旅をしてこその土産なのだろう。
高僧に朝廷が下賜する紫衣を徳川家光が禁止する、反抗し上山に流された沢庵和尚が上山藩主土岐頼行に政りごとの要諦を説く。
「上は君であり、中は臣、下は領民、上の字を返せば下となり下の字を返せば上となる、君にも民にも口があり、中を貫けば中となる。故に上中下は一体であり、言葉を通わせれば意思は通うなり」
中である官僚が上の総理に忖度し下の国民を欺く、モリカケ問題の関係者は「上中下三字説」を熟読し猛省すべきなのだろう。