夜中の12時は前日なのだろうか、本日なのだろうか。24時間表記をすると0時が始発駅で24時が終着駅のように見えるが、同じ夜中の12時である。正午は午前12時なのか、はたまた午後0時なのだろうか。解釈の違いで波乱が生じる。
小学校に入学するとき、4月1日生まれは前の学年に入り、4月2日生まれは次の学年になる。学年で最年少は4月1日生まれの人である。
「年齢計算に関する法律」があり、それによれば誕生日の前日に満年齢に達することになっている。つまり4月1日生まれは3月31日の24時に満6歳になる。0時に満6歳に成るのではない。
また学校教育法の第22条では義務教育について「子女の満六才に達した日の翌日以降における最初の学年の初から」就学させなければならないとしている。
つまり4月1日生まれは3月31日に満6歳になっているので、翌日の4月1日に入学となる。4月2日生まれは4月1日の24時には満6歳になるが、4月1日の午前9時の入学式が終了し、4月2日には入学式が無いから翌年の4月1日まで待たないといけない。
選挙権の年齢解釈は、投票日の翌日が20歳の誕生日である場合、その選挙への投票が可能である。例えば、2007年4月1日が投票日である選挙の場合、1987年4月2日が誕生日である人も投票できることになる。投票日の4月1日0時の時点では19歳であるが、4月1日の24時の時点では20歳であるから、4月1日は終日20歳であるとする解釈である。選挙権の発生には「満年齢に達した翌日」の記述は無い。
本日の最高気温より、明日の最低気温が高くなることもある。人間が勝手に測定時間を限定するからである。
たまたま人間の為に人間が決めた決まりだから不都合が生じるのである。人間は不完全で未完成なのだ。自然が人間に対する教育は、母体に生命が誕生した時から始まる。自然の学校の入学式は各個人によって違うのである。そして統一された平等な教育である。
人間の決めたルールは些細なことで、大いなるもののルールは万人に公平である。人間に違いが出来てしまうのは、各個人の解釈が違うからである。太陽光・空気は地球上のどこにでもある。光があり、息が出来れば生きていける。そして自然はその対価を求めない。世の中、個人の考え方で如何様にも成るようである。自然は偉大なのである。
24時と0時という区切りは人間の都合で、悠久の自然は連続している。だから始発駅もなく終着駅も無い。大きな循環をしているのだろう。
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