風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

豆まき・恵方巻き、マキマキの節分 442号

2009年01月15日 17時42分48秒 | 随想
節分とは「季節を分ける」ことで、春夏秋冬にあるが、厳冬を乗切り、春を迎える立春が感慨ひとしおである。2月3日頃になる。

豆まきは「鬼は外・福は内」の有用価値二元論の善を呼び寄せ、悪を退散させる二面性がある人間の身勝手である。

臭いイワシの頭と刺の有るヒイラギを戸口に挿すことで鬼さんに敬遠して頂く。

恵方を向いて食べて福を招来する祈りの小道具、七福神の七種の具の入った恵方巻き。今年は丑年だから東北東である。

一切皆苦の人生、懸命に努力しても、思うようにはならない。闘争的性格であると、鬼を追い払うことになる。内省的な弱気な人間は恵方寿司を食べて、座して福の神の到来を待つのである。

天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道は極楽にも存在、地獄にも有る。

鬼をイワシの頭と刺の有るヒイラギで排除して良いのだろうか?

恵方寿司を食べて、福の神を招いて宴会して満足していて良いのだろうか?

鬼の仲間にも善人がいる。福の神にも詐欺師がいるだろう。

一期一会の春の節分の鬼と福の神は、豆まきで区分けすることが出来るが、永遠に鬼は鬼を継続することは無い。福の神も何時かは挫折する。人間の善悪は時の流れで変質する。

人間が決める鬼や福の神は曖昧である。本物の鬼や福の神に挨拶したいのであるが、近くに存在するが気が付かないのかもしれない。鬼も福の神も同じなのかもしれない。人間が勝手に造っている妄想かもしれない。知らぬが仏の諺が有る。

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