風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

コモンズの悲劇 206号

2007年12月04日 15時12分49秒 | 随想
「コモンズ」は近代以前のイギリスで牧草の管理を自治的に行ってきた日本語で「入会」「共有」という制度である。「コモンズの悲劇」とは、誰でも自由に利用できる共有資源が乱獲されることによって資源の枯渇を招いてしまうということである。

たとえば、共有地(コモンズ)の牧草地に複数の農民が牛を放牧する時、利益の最大化を求めてより多くの牛を放牧する。私有地であれば、牛が牧草を食べ尽くさないように頭数を調整する。共有地では、牛を増やさないと他の農民が牛を増やしてしまい、自身の取り分が減ってしまうので、牛を無尽蔵に増やし続ける。こうして農民が共有地を自由に利用する限り、牧草地は荒廃し、結果としてすべての農民が共倒れすることになる。入会地である里山の松茸は、人間の欲望に任せ、自由放任すれば、いつかは絶滅する。会社の営業共有自動車の傷み方は激しい。

実際に「コモンズの悲劇」が起こるのはその「コモンズ」が誰でも何時でも自由に使用出来る場合に限られ、多くの場合、所有権を利害関係者に与えて管理させる事によって「コモンズの悲劇」を防ぐ事が出来る。

日本人の「心のコモンズ」に相撲がある。部屋の親方に全権を委ねた結果の不人気凋落の「コモンズの悲劇」が発生した。元NHK会長の海老沢横綱審議委員会の利害関係者が修復に動き出したのであるが、女性の内館牧子委員がオピニオンリーダーである。会の総意は無礼者のモンゴル人横綱を許し、相撲社会の女人禁制の伝統は守ることが出来たが、古き良き日本の伝統美は消滅する。

日本人の「食のコモンズ」は田舎である。人間の欲望に任せ、自由放任すれば、若者は都会に脱出する。老人だけの農村・山村・漁村は絶滅して、田舎からの食材の供給が停止する。「食のコモンズの悲劇」はすぐ其処まで来ている。

何故、若者は都会を目指すのか? 大きな要因は都会には金と人工の環境があるからである。逆転の発想をすると、田舎に金があると、若者は都会を逃避して田舎に回帰する。そして自然の厳しさと優しさが、若者に人生を考えさせる。田舎に金が還流する政策を立案する時である。志のある政治家は考えよ。

食に関わる一切の消費税を都会では高率にし、田舎では撤廃するのが良い。食材の買出しは都会の巨大スーパーで調達するのでなく、田舎にドライブしながら購入することになるだろう。都会に向かうトラックが減り、田舎に向かう乗用車で高速道路は大渋滞である。

高学歴で金勘定に敏感な、これから増加する高齢の年金生活者は、田舎に定住することを考えるだろう。環境の良い田舎は長生きできるし、希望者が殺到する。利益率の良い、食品業界は田舎に吸い寄せられる。食品巨大スーパーが田舎に来る。立地斡旋の不動産業者が田舎に集合する。病院は田舎に引っ越さないと商売が成り立たない。製薬会社の本社も田舎に移動しないと利益が上がらない。葬儀屋も田舎で繁盛する。公共インフラは高度に発展する。田舎の人口増加率は史上最大を記録する。田舎が都会になってしまう。田舎の自然が破壊される。

過酷な労働に耐え、疲れた老人が見た、晩秋の悪夢である。初夢で「一富士山・二鷹・三茄子」を、正夢で田舎と都会の調和した日本の光景を見たいと思っている。

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