愛知県では香嵐渓と寂光院が紅葉の名所である。香嵐渓の紅葉狩りに出かけた。 植物見物を狩猟に譬えるのは、定住する農耕民族の狩猟民族への憧れなのだろう。
香嵐渓の名の由来は「飯盛山からの薫風は、香積寺参道の青楓を透して巴川を渡り、香ぐわしいまでの山気を運んでくる。山気とは、すなわち嵐気也」と言った新聞社の社長の言葉である。
紅葉は、秋に起こる落葉樹の葉の色が変わる現象で、厳密には紅葉・黄葉・褐葉がある。常緑樹も紅葉するものがあるが、緑の葉と一緒の時期であったり、時期がそろわなかったりするため、目立たない。
緑葉は葉緑素で、晩秋に気温が下がり、日照時間が短くなると分解する。そして葉柄の付け根に離層という特殊な水分を通しにくい組織ができ、葉で作られた糖類やアミノ酸類を原料にして、光合成で赤色素が作られる紅葉や、葉緑素が分解して、元々存在した黄色や褐色が見えるようになる黄葉や褐葉が紅葉狩りの対象樹木である。その後、落葉すると本格的な冬将軍が活躍することになる。
何故、散っていく花が、華やかな美しさを最後に見せるのだろうか。樹木の立場で考えたら、利己的な理由があるのだろう。動物や昆虫や微生物に目立つ色や好みの色にかわり、食べてもらい分解して、樹木が吸収し易い物質に変わる事を期待した、思慮遠謀があるのだろう。遺伝子は保身的で利己的なのである。人は紅葉を観賞して、美しいと思うのは自己都合で、人の遺伝子もまた利己的なのである。
平日であったが、観光客は長蛇の列である。他府県ナンバーの大型観光バスなど数十台が駐車場に停車し、帰路に就くバス・到着するバスの大混雑で、乗客は大部分が老人である。紅葉狩りが老人に人気がある理由は、人生の黄昏を象徴しているからだろうか。散り際に、もう一度、人様に奉仕する元気をくれる。そして酔客のドンちゃん騒ぎが無く、静寂が支配する老人天国である。春の桜狩りは、家族ずれ・若者のカップルそして酒宴の結果の酔客なので喧騒を極める華やかな環境である。
夏に訪れた「越中おわら風の盆」も、静粛な雰囲気であり、老人がたむろしていた。四国の遍路旅で訪ねた寺も、老人集団が境内を散策して静寂が支配している。静寂や静粛のある観光地を旅する、騒々しい私は若いのか、はたまた老人なのか?体力の衰えを感じる私は、確実に人生の端境期・紅葉最前線に生きている。
香嵐渓の名の由来は「飯盛山からの薫風は、香積寺参道の青楓を透して巴川を渡り、香ぐわしいまでの山気を運んでくる。山気とは、すなわち嵐気也」と言った新聞社の社長の言葉である。
紅葉は、秋に起こる落葉樹の葉の色が変わる現象で、厳密には紅葉・黄葉・褐葉がある。常緑樹も紅葉するものがあるが、緑の葉と一緒の時期であったり、時期がそろわなかったりするため、目立たない。
緑葉は葉緑素で、晩秋に気温が下がり、日照時間が短くなると分解する。そして葉柄の付け根に離層という特殊な水分を通しにくい組織ができ、葉で作られた糖類やアミノ酸類を原料にして、光合成で赤色素が作られる紅葉や、葉緑素が分解して、元々存在した黄色や褐色が見えるようになる黄葉や褐葉が紅葉狩りの対象樹木である。その後、落葉すると本格的な冬将軍が活躍することになる。
何故、散っていく花が、華やかな美しさを最後に見せるのだろうか。樹木の立場で考えたら、利己的な理由があるのだろう。動物や昆虫や微生物に目立つ色や好みの色にかわり、食べてもらい分解して、樹木が吸収し易い物質に変わる事を期待した、思慮遠謀があるのだろう。遺伝子は保身的で利己的なのである。人は紅葉を観賞して、美しいと思うのは自己都合で、人の遺伝子もまた利己的なのである。
平日であったが、観光客は長蛇の列である。他府県ナンバーの大型観光バスなど数十台が駐車場に停車し、帰路に就くバス・到着するバスの大混雑で、乗客は大部分が老人である。紅葉狩りが老人に人気がある理由は、人生の黄昏を象徴しているからだろうか。散り際に、もう一度、人様に奉仕する元気をくれる。そして酔客のドンちゃん騒ぎが無く、静寂が支配する老人天国である。春の桜狩りは、家族ずれ・若者のカップルそして酒宴の結果の酔客なので喧騒を極める華やかな環境である。
夏に訪れた「越中おわら風の盆」も、静粛な雰囲気であり、老人がたむろしていた。四国の遍路旅で訪ねた寺も、老人集団が境内を散策して静寂が支配している。静寂や静粛のある観光地を旅する、騒々しい私は若いのか、はたまた老人なのか?体力の衰えを感じる私は、確実に人生の端境期・紅葉最前線に生きている。