風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

理想のプロ野球 53号

2007年04月08日 15時01分51秒 | 随想
選抜高校野球が終り、プロ野球の開幕である。高校野球は全勝すると日本一になるが、娯楽であるプロ野球は違う。落合監督・信子夫妻のドラゴンズは開幕以来好調である。もし連続勝利で負けが無ければ、お盆には優勝が決まり、その後は消化試合になってしまい、興業としては成り立たない。勝ったり負けたりがプロの野球である。

伝説のセリーグ公式戦は1994年である。129試合目を消化した時点でドラゴンズとジャイアンツはどちらも69勝60敗で並んでいた。当時のセントラル・リーグでは各チーム130試合の公式戦をおこなうことになっており、この年の両チームにとっての最後の公式戦は10月8日に行われる直接対決であった。このように最後の公式戦によって、そして勝者がその年の優勝チームとなる事態はプロ野球の歴史上初めてのことである。また、その年に210安打のシーズン新記録を達成したオリックス・ブルーウェーブ(現シアトル・マリナーズ)のイチローも球場で観戦するなど、注目度の高さを示した。

試合は愛知県名古屋市のナゴヤ球場で行われ、ドラゴンズの先発投手は今中慎二、ジャイアンツが完全試合を達成したばかりの名古屋出身の槙原寛己であった。ジャイアンツは、当時、槙原とならんでジャイアンツの「先発三本柱」と称された桑田真澄、斎藤雅樹を継投させる総力戦でのぞんだ。一方ドラゴンズは、その時ナゴヤ球場戦でジャイアンツ戦11連勝していた「ジャイアンツキラー」左のエース今中慎二を先発投入。しかし、その今中をジャイアンツ打線が打ち込み、6-3でジャイアンツが勝利した。これにより、ジャイアンツはこの年のセントラル・リーグ優勝を果たした。中日の監督は高木守道で、この優勝戦の膨大な利潤の為に、来シーズンの監督の地位が保証されたのである。この試合は全国にテレビ放映され、ことに関東地区での視聴率(ビデオリサーチ調べ)は48.8%を記録した。これは関東地区におけるプロ野球の歴史上最高のテレビ視聴率である。この試合は究極の、そして理想的なプロ野球なのである。

ジャイアンツ落合がドラゴンズ立浪のゴロを捕球の際に足を滑らせ負傷退場したり、立浪が1塁にヘッドスライディングして肩を脱臼したり、最終回、ジャイアンツ川相のセンターバックスクリーンへの打球が三塁打と判定されて長嶋監督が猛抗議するなどの数々のドラマを生んだ。
13年後の2007年のドラゴンズは、監督が落合、コーチに川相、代打の切り札に立浪が揃っている。運命の糸で結ばれた3人である。

蛇足を付け加えるなら、ドラゴンズが優勝に絡むと、政変が起るようで、この年には海部内閣と村山内閣が誕生したのである。

ドラゴンズファンとして、3人にプロ野球発展の為に、「上手い負け方を考えないといけない」と言いたいのである。これはファン心理のパラドックスである。

余計な話を付け加えるなら、信子夫人は長野県飯田市の出身である。現役時代の落合が自主トレーニングを昼神温泉で行なったのは、夫人の地縁だろうと勝手に想像している。飯田の近くの市田は明治大学野球部の島岡御大・監督の故郷なのである。そして選抜甲子園で優勝した飯田長姫の小さな大投手光沢毅の故郷でもある。

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