風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

おしょうさま、かしょうさまは和尚様 422号

2008年12月18日 06時14分33秒 | 随想
しこうしこうのしこうはしこうのげんいんとしこうされる。

同じ発音で意味が違う言葉は同音異義語である。まるで理解できない文章である。漢字に変換すると意味は理解できるのであるが、真実かどうかは別問題である。言葉は心を伝える一つの道具に過ぎない。至高志向の嗜好は歯垢の原因と思考される。

発音は音読みで、漢音・呉音・唐音に限定される。

漢字「行」で区別すると、修行(しゅぎょう)、行者(ぎょうじゃ)はギョウの呉音。旅行・行軍はコウの漢音。行燈・行脚はアンの唐音。

対する訓読みは、象形文字の歴史の漢字を日本人が意訳した読み方である。

漢字「生」は、いきる・はえる・なま・おう・き・うむ・うまれる・いかす・うぶ・いのちなど色々な読み方がある。

同音異義語に対する言葉は、異音同義語だろう。しかし数限りなく存在し定義不能である。

志村けん・林家木久翁や内閣総理大臣と発音は違うけれども、意味は同じ「馬鹿」を演技している。あっそうなんだ。

生存する「おしょう」とお隠れの「かしょう」の発音は違うけれども、同じ漢字の和尚である。

公式の席の女房の「あなた」と自宅で罵倒される「あんた」の語感は違うけれども、同じ「おいら」の事である。他人を意識した虚栄と見栄で担がれる「あなた」には尊敬と恭順のムードがある。「あんた」には稼ぎの悪さの非難そして粗大ゴミ・濡れ落ち葉と喩えられる嫌われ者の雰囲気を感じ取るおいらは被害妄想なのだろうか。

言葉の持つ神秘の響きである言霊。外国語に決別して漢字文化に興味が向かう年齢になった。おいらはジャップと軽蔑されても、「あなた」として大切にされるなら、日本は良い国である。

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