年の暮れの歳暮の礼といって新年に先祖の霊を迎えるために必要な供物を、嫁いだり分家した人が本家や親元に持って行く行事だった。その答礼が本家や親元の新年の宴で、お節料理が振舞われる。そしてお年玉である。贈り物の心に答える返礼。美しい日本の贈答文化である。
西洋科学主義の唯物論の平成元禄のモノカネ万能の繁栄は、猟官活動や利益誘導の手段に変えた。菓子折りに隠された小判で勝ち組・負け組みの格差社会が出現する。
「越後屋、そちも悪ょのう」「ふふ。お代官様こそ」
葵の御紋の印籠を掲げ「ええい静まれ静まれぃ この紋所が目に入らぬか こちらにおわす御方をどなたと心得る 畏れ多くもさきの副将軍・水戸光圀公にあらせられるぞ 一同 御老公の御前である 頭が高い 控えおろう」
水戸黄門様、悪代官を懲らしめて一件落着。しかし悪行は尽きることが無く無尽蔵である。
釜茹でにされた石川五右衛門の「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」
丹精込めた農産物を頂く。向こう三軒両隣に「つまらないものですが…」と言ってお裾分けする。物を返礼に頂く。北の親戚にお裾分け。北国の名産品が届く。向こう三軒両隣にお裾分け、そして物を頂戴する。南の親戚にお裾分け。南国の特産品が届く。向こう三軒両隣にお裾分け、そして物を手渡される。
贈り物、答礼品。貨幣の受け渡しの無い物々交換で、無駄の多い効率の悪い寄り道・回り道である。心と心のキャッチボールが本来の贈答文化である。物は小道具に過ぎない。貨幣経済が日本人の心を荒ませた。
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