風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

高山本線に騒音が流れる 211号

2007年12月17日 09時28分55秒 | 青春18きっぷ

今夏、二百十日の越中八尾の「おわら風の盆」の夜行バスツアー旅に参加して、魅せられた私は、高橋治の「風の盆恋歌」・内田康夫の「風の盆幻想」・西村京太郎の「風の殺意・おわら風の盆」と和久俊三の「赤かぶ検事奮戦記・越中おわら風の盆殺人事件」を読んで、踊りの心を知ろうと努力した。私は偏執狂的傾向が強いようである。

本はインターネットのオークションで本代1円だから落札したのであるが、梱包料と送料を合計すると371円である。後日、近くの古本屋でたまたま同じ本を見つけ、価格を見ると105円だった。風の盆恋歌の定価は消費税込みで320円だから、経済価値が混乱してしまう。自己責任で決断したのだから、371円が正解なのである。

より深い踊りの心の探求の為に、越中八尾の宮田旅館に投宿し、翌日は高山本線の鈍行列車の旅を続けた。坂の町を下り、振り返ると石垣が見え、脳裏には暗闇の雪洞の光の列の幻想的な光景と胡弓の哀愁の音色が甦る。井田川の畔を徒歩20分程で駅に到着した。

2004年の台風23号の影響により不通区間だった角川~猪谷間の営業運転が今秋、3年ぶりに再開されたので、高山本線の全区間を各駅停車で乗車することを思い立った。富山~猪谷はJR西日本が、猪谷~岐阜間はJR東海が運行を担当している。

北陸本線富山駅と東海道本線岐阜駅を結ぶ、全長226kmの非電化路線の高山本線は標高100mの越中八尾駅から猪谷駅、高山盆地の飛騨古川493m・高山576mを走り、飛騨一ノ宮駅を通過後、宮峠をトンネルで越え、最高所の久々野駅が676mである。禅昌寺・下呂温泉・美濃太田を経由して、標高10mの岐阜駅に至る山岳鉄道である。

宮峠は分水嶺で、井田川・宮川は神通川に合流、日本海に流れ込む。飛騨川は木曽川に合流して三河湾から太平洋の海水になる。トンネル通過後に流れの方向が劇的に変わる。久々野から表日本で、高山は雪深い裏日本の気候に属する北国である。

宮峠に向かうキハ120気動車やキハ40系気動車はエンジンを全開にして懸命に登るのであるから騒音が激しい。トンネルに入ると壁に反響して騒音が一段と高まる。都会なら騒音公害訴訟で全面敗訴の判決が出ることが確実に保証されている。

同じ山岳鉄道である飯田線は電車が走り騒音は無い。しかしほぼ同じ距離を走る高山本線の駅は飯田線の95駅の半数である。高山本線の各駅停車の列車は快速列車である。

ハードウエアの諸々の差異は、出生に秘密がある。高山本線は日本国有鉄道であったが、飯田線は民間鉄道であった。親方日の丸であった高山本線は「乗せてやる、文句があるか」と言っているようだし、飯田線は「お客様は神様です」で奉仕に徹している。同じ地方鉄道線なのに、高山本線と言って威張っているが飯田線は謙虚である。官僚社会の日本を象徴している権威主義である。

人のお役に立つのが公僕なのであるが、自身の金勘定に忙しい自己中の、他人様に奉仕することを忘れた役人が、まま見受けられる。異端を許すのが、仏教であるから、日本は仏教国である。

68年の後の世には、石油が枯渇するという。次世代のエネルギーは確実に電気であると思うのである。長野県はダムの建設を拒否する民意があるが、岐阜県・富山県は水力発電を推進し、高山本線を電化し鱈(たら)、中京圏の人間が鱈鍋を鱈腹食べに日本海を訪れるだろう。そして余った電力を飯田線に分けてやれば良いのである。

そして騒音の無くなった高山本線沿線には、自然を愛する善良な人々で満ち溢れる。68年後の日本は地方の時代になる事を、極楽浄土から阿弥陀様と一緒に眺めることになる。


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