風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

鉄道の思い出 69号

2007年04月30日 10時33分01秒 | 随想
豊かな国・日本は自動車社会である。40年程前の戦後で混乱した時代は、近距離は歩いて、遠距離は鉄道で移動した。当時は、隧道掘削や橋梁建設の技術が未熟なので、自然の地形に逆らうことなく、隧道や橋梁の少ない曲がりくねった鉄路である。

電車は無く、蒸気機関車が客車を引っ張る列車である。峠を越える麓の駅には、ホームに洗面所が必ず有る。蒸気機関車の燃料の石炭の煙や煤で顔が黒くなるので、乗客が洗顔するのである。

時間は十分にある。機関車は燃料の石炭と水を使い果たし、補充しなければならないのである。近くに観光地があれば散策できる。

禁煙車は無い。強制的に蒸気機関車の煙を吸わされる、全車喫煙車両である。

長野県の軽井沢から群馬県の草津温泉を結ぶ、草軽電鉄の速度は遅く、帽子を風で飛ばしても、拾いに行き走って戻れば再乗車できたという嘘のような話を聞いた。

碓氷峠の急勾配はアブト式の最新鋭の電気機関車が列車を牽引した。軽井沢駅と横川駅では機関車を取り替える為に長時間停車した。横川の峠の釜飯は名物となった。長野から上野駅まで8時間程度の旅程で、当時の旅は難行苦行である。

当時は格差が無く、全員が同じ苦しみを体験するので不満が無い。そして日本国有鉄道は役所であるから、サービスとは無縁であった。『文句があるなら乗るな。乗せてやっているのである』当時の鉄道官には勝てないのである。

池田勇人総理大臣の高度成長時代の頃、中央線の名古屋から長野に創設されたばかりの、気動車特急「しなの」に乗車した。途中の「寝覚の床」や「姨捨棚田・田毎の月」では減速して車内放送で案内してくれた。運転手と車掌の奉仕と思うが、役所の国鉄の個人は善良な人なのである。善良な個人も集団になると悪さをする。

民営化された鉄道のサービスは極めて向上したが、比例して高額の料金をむしり取る。勝ち組には都合が良いだろうが、負け組みには辛いのである。物の奉仕は改善したが、反面、鉄道員の奉仕はマニュアルに従った事務的な応対である。

最近の旅は、有り余る時間を利用した、時差出発や旅の過程を楽しめるバス旅行である。運転手の顔が見える、一つの部屋で移動する呉越同舟である。まもなく化石燃料が枯渇すると古きよき時代の鉄道の懐かしい旅が復活するのである。

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