風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

信心の自由は無関心

2021年01月12日 11時41分09秒 | 随想

桜の名所・吉野山の金峯山寺の御本尊は金剛蔵王大権現、今から1300有余年前、金峯山山上ヶ岳に役行者が一千日の修行に入り、感得された権現仏。権現とは権(仮り)に現われるという意味で、本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が権化されて、過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現。また金剛蔵王とは、密教の両界曼荼羅(金剛界と胎蔵界)を統べるという意味がある。

インドの釈迦族王子が創始した仏教は中国を経由し六世紀の欽明天皇の世に伝来した。そして日本古来の神道と習合し、仏教主導の本地垂迹では上記の記述になる。

豊臣秀吉を神格化する天皇からの諡号は吉田神道の助言で豊国大明神、徳川家康は天台僧天海の進言で後水尾天皇は東照大権現を下賜する。

比叡山延暦寺を焼き討ち、高野山も攻めようとした織田信長は本能寺の変で自害、天皇から諡号下賜は無かった。

廃仏毀釈の復古神道で明治維新の尊王攘夷運動のイデオロギーとなったが公武合体論が勝利、明治天皇の世となり、家康によって剥奪された豊国大明神は復活、織田信長には天下統一の功績により健勲(たけいさお)なる諡号が贈呈された。

しかし敗戦後、米国主導で制定された憲法は信教の自由を明記した結果、公立高校では多岐にわたる煩雑な信心の教育を放棄し、人類の物欲を推進する知育一辺倒となり、モノで栄え心が荒む豊か国になった結果「仏ほっとけ、神かまうな」の世間となった。



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