禅語に遊戯三昧なる言葉がある。好きな事に没頭し時の流れを忘れる状況なのだろう。反対語は嫌々労働だろうか。
砂場で遊ぶ子供に服が汚れるから止めなさいと言えば泣き出すだろう。生活の為に土を掘っている作業員に交替しましょうかと言えば喜ぶだろう。
違いは無欲無心と分別打算。
資本主義社会では資金が多いと何かと便利である。楽して金儲けが出来る人間は優等生であるが、金勘定が苦手な人間は落伍者とするのが分別。
各人各様の得意分野で活動すれば各人各様の笑顔の絶えない生活だ出来るならば理想郷なのだろうが、大人は子供の発想だと断定する。