信長や秀吉が活躍したから、尾張名古屋は城で持つ、家康が誕生したから、三河岡崎は城で持つ。
乙川河畔の岡崎城の近くの里山の中腹に家康の故郷の松平郷の守護神を勧請した六所神社があり、六所大明神の額が掛かっている。
神社の境内の随所には徳川の三つ葉葵の紋所がある。家康は没して東照大権現になった。秀吉は豊国大明神であるから、六所神社で両者は習合している。
信長の野望である天下統一は三英傑の野望でもあるから、その視点なら三者に相違はない。
明神と権現の相違は奈良平安時代の法相宗徳一と天台宗最澄の法華権実論争の歴史問題に由来する。
江戸時代の天台僧天海和尚の影響力が浄土教信者の家康を明神でなく権現にしたが、明神も権現も同等で日本の神なのだろう。