風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

400号+十一面観音=411号

2008年12月04日 12時55分04秒 | 随想
北滋賀の高月渡岸寺に国宝の十一面観音菩薩立像がある。胸に乳房はないが、腰から腹・尻の容姿は女性の様である。観音様は男なのか、女なのか、其処が問題である。

転勤で彦根市に住み、北滋賀びわ町の工場に通勤した。近くの長浜市にはキャノンの工場がある。キヤノン株式会社は日本を代表する精密機器メーカーである。創立者が観音菩薩を熱心に信仰していたから、精密小型カメラを「観音」と命名した。観音がキャノンになった。

「音は耳で聞く」が世間常識であるが、観音様は「音を眼で観る」のである。
何処かでうめき声が聞こえる。生存の苦しみのうめき声。ギャンブルで大損したうめき声。うめき声にもいろいろある。見極めるために観音様は現場を訪ねるのである。音の発生源を観るから観音様である。観音様は現地現物主義者なのである。

人の手は字を書くことが出来る。本を持つことが出来る。坊やの頭を撫でることも出来る。人の頬っぺたを打つことが出来る。食器洗いをすることが出来る。箸を持つことが出来る。手の可能性は千個有るから千手という。手の刹那の働きは心が決める。千手観音が教えてくださる。

同様に眼で観ることも、心次第で千個見れる。千眼菩薩である。千とは無限に多くを意味している。

喜怒哀楽の人の表情は心が決めるが十一個ある。十一面観音菩薩立像は心である。心はモノで無いから、モノである人間の男・女の二元論はあてはまらない。「浪漫と冒険の男心」と「女心は山の天気」を合算した心が「観音の心」である。観る人の心で男だったり、女だったり。

心掛け次第で千差万別の作業ができる。心の有様で現実を多種多様に見ることができる。心の迷いの喜怒哀楽の十一面相。観音様は心の不可思議と、あらゆる境遇で人が生き抜く知恵を教えてくださる。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。