風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

六文銭は三途川の舟賃 412号

2008年12月05日 09時32分47秒 | 随想
此岸(現世)と彼岸(あの世)の境界にある三途川。地蔵菩薩が野宿する賽の河原。仏の世界への舟賃が六文銭である。父親・真田昌幸の臨終の床で、息子・真田幸村(信繁)が渡した六文銭。信州上田の真田家の家紋になった。

今川義元・武田信玄・上杉謙信・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の戦国時代。桶狭間の戦い・川中島合戦・天下分け目の関が原・大坂夏の陣に散った悲劇の武将真田幸村。負け組の豊臣秀吉を選択した。

猿飛佐助・霧隠才蔵・根津甚八・由利鎌之助・筧十蔵・三好清海入道・三好伊三入道・望月六郎・海野六郎・真田大助の真田十勇士を擁する赤備えの武具の本陣突き崩し。勝ち組の徳川家康に「あの世に行ったら酒を飲み交わしたい人物」と言わしめた。

長野県更級郡大岡村にログハウスの別荘を借りて農業をする従兄が、真田幸村の郷の林檎を送ってくれた。六文銭のマークが輝いている。JA信州うえだとJA全農長野の記述が段ボール箱に印刷されている。

豊臣秀吉の家来だった真田幸村。真田幸村の郷の林檎はJA信州うえだかJA全農長野か、どちらの家来なのだろうか。文字から受ける印象は、JA全農長野が家康で強そうだし、JA信州うえだは秀吉の印象で優しそうである。将来はJA全農長野に統一されるのだろう。

長野県更級郡大岡村は長野県長野市大岡になった。村長や村会議員数人は職を失った。長野市の職員が巡回に来るだけだろう。そして事務的に問題解決する。

大岡村に密着した決め細やかで血の通った行政は不可能である。若者の僅かな村役場の仕事は無くなり、長野市に金を求めて出稼ぎに行く。そして先祖伝来の大岡村は限界集落の仲間入り、やがて原野に戻る。

三途川を一文銭の船賃の大型船で速やかに渡り経費削減するより、小舟でゆっくりのんびり舟旅をし、その舟賃が六文銭でも決して高くないと思うのである。小さいことは良いことである。

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