風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

動産融資は不確実 420号

2008年12月14日 21時00分55秒 | 随想
強欲な人間集団では、権力者に従い活動して満足する人々。独自に工夫して生活する人々。人様に奉仕して喜んでいる人々もいる。欲の渦巻く混沌とした世間は混乱している。

しかし人間の生き様はひとつである。人間都合の独善でなく、多くの地球上のあらゆる存在のお蔭で生かされている事に気付くと、お釈迦様が導いてくださる平穏で和やかな仄仄とした極楽が現世である。大白牛車に乗った菩薩様。法華経の火宅の例えである。

強欲の炎の燃えている家計。家計の苦しい経済状態を表現する言葉に「自転車操業」や「火の車」がある。停止すると倒れる一輪車、最近は夫婦共働きの二輪車の自転車が多い。労働を継続しないと家庭経済は成立しない。火の車・燃える車に乗ると酷い苦しみを味わう。モノカネの欲望の悪魔の充満する家庭は喧嘩の絶えない燃える火宅である。

ベニスの商人の悪魔の囁きが、融資である。土地・建物の不動産を担保に銀行融資を受けるシステムは馴染み深い。最近は動産である農産物、マグロ・黒毛和牛・市田柿・渥美メロン等を担保に金が借りられる。そして多くの会社員はその労働力の動産を担保に融資が受けられる。金融経済のギャンブル社会である。

天然自然相手の農産物の動産、生身の人間の労働力の動産担保価値は不確実である。不作だったら、病気になったら、獲らぬ狸の皮算用の妄想である。身の程知らずの虚栄や見栄の生活態度は地獄の一里塚である。

仏の知恵は、質素倹約の生活態度である。辛抱する、耐え忍ぶ、我慢する、そして創意工夫の無駄の無い生活。拡大経済の信奉者には悪魔の囁きであるが、日本国民には仏の微笑である。

歴史の無い合衆国の焦りである物欲主義に決別する時である。ハンバーガーにコーヒーとポテトフライのファーストフード店の友達との毎日の付き合いのアメリカ流。年に一度の茶席の一期一会の友人との親睦の日本流。経費は同じになる。価値判断がアメリカ人と日本人の分水嶺である。

大東亜戦争の敗戦シンドロームで、日本がアメリカに媚びることは無い。日本人には日本人の文化が在った。日本人は優れている。

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