鎖国の島国根性の継続化、西洋科学主義の導入の文明開化、明治維新は意見が分かれたのだろう。
金沢の室生犀星は「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」は故郷を忘れようとする。島崎藤村『破戒』の丑松はアメリカのテキサスへと旅立ってゆく。故郷の少年時代は苦しかったのだろう。
北信濃の高野辰之は「兎追ひし かの山 小鮒釣りし かの川」と故郷を懐かしむ。ブラジルに移民した日本人は古き良き日本の伝統を大事にしている。故郷の楽しい思い出で満ちている。
国家公務員の国立芸大教授が作詞した作品は国家に帰属するから、長らく作詞者は不詳とされていたが、長野市出身の東京都副知事の猪瀬直樹が調べ高野辰之であることが判明した。
かの山は長野県中野市永江地区の「大持山」、かの川は斑川。
長野市の学校の野外学習で、長元坊が集団繁殖する国の天然記念物・十三崖で観察をした思い出のある中野市は隣接している。当時は下水内郡だった。
おぼろ月夜・紅葉・春がきた・春の小川も近くの北信州の野沢温泉の寺など田園風景から作詞された。
「一大事と申すは、今日ただ今の心なり」と教える臨済宗の白隠慧鶴の師匠の正受老人(道鏡慧端)は飯山の寺に隠棲していた。水戸黄門も帰依していた。
証城寺の狸囃子を作曲した中山晋平も同郷である。昔に聞いたと思うのだが、極めて長い前奏で、探しても見つからない。幻聴だったのだろうか。
故郷を懐かしむのは、西洋文明を容認できず、武士道の封建制がトラウマとして残る江戸時代末期の人間なのかもしれない。物欲一辺倒の強い心理的な傷が日本人の故郷を失うことを危惧している。
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