学校を卒業・宮仕えをして、より多くの給料の為に自分を殺して、働き蜂に徹し、寝食を忘れて労働を続け、55歳の定年を迎えた。その時に、「私は何者なのだ」との疑問が湧いたのである。以前に見たNHKの千日回峰の記録「行」を思い出し、比叡山延暦寺の西塔居士林の参禅会に参加した。以後8年8回参加することになる。
千日回峰行は7年間で夜中比叡山中を千日間、毎日七里半歩く歩行禅である。禅は座り続ける座禅が一般的であるが、動き回るのも禅である。「私の中には、もう一人の素敵な私がいる」。もう一人の私探しが禅であろうか。発見すると良い顔つきになる様である。
七百日までは自分を磨く自利行であるが、七百日終了の後九日間、不眠・不臥・断食・断水で不動明王と一体になる「堂入り」の行を満じると、以後は利他行が加わり、山中の七里半と京都市内の七里半を歩き、14時間程度歩き続ける。975日で行は終了する。残りの25日分は、残りの人生で修する事になる。仏教では、八は完成を意味するので、七里半は未完成を意味する。人間は永遠に未完成なのである。
奈良時代の末期に聖武天皇の娘である孝謙天皇が、東大寺の大仏を造営した。退位した孝謙上皇は病気になり、看病に当たった仏教僧・弓削の道鏡を寵愛する。諫言した淳仁天皇を追放して孝謙上皇は復権し称徳天皇となる。私利私欲の坩堝となった奈良仏教に決別した桓武天皇は、784年(延暦3)山背国長岡京に新たな都を造成したが、工事責任者の藤原種継が暗殺され、桓武の弟の早良親王が捕まると言う事態になり、794年(延暦13)平安京に新たに造成、遷都した。桓武天皇が採用した新仏教が最澄の天台宗で、その教えの根幹となる哲学が「忘己利他」で一隅を照らすである。
「悪事向己。好事与他。忘己利他。慈悲之極(悪事を己に向え、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり)」
「滅私奉公」と言う言葉が、昔にはあったが、100%自分を滅してしまえと言うことではないと思う。「忘己利他」も100%己を忘れろとは言っていない。相応和尚の創始した千日回峰行では半分は自分の為、半分は人様の為に奉仕することを教える修行である。ヨーロッパ由来の人間中心主義や物質的欲望の果てしなき追求を善とした体制を反省し、人間も生態系の一部である事を自覚し、「吾唯足るを知る」の竜安寺のツクバイを思い出し、社会のために、少々献身的に働く事が有って良い。
「忘己利他はもう懲りた」と言わずに、半分は他人様のこと、自然環境のことに、心配りが出来れば、元号延暦の時代の伝教大師最澄も微笑んでくれる。
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