風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

虚無僧は尺八を吹き、山伏は法螺を吹く 471号

2009年02月23日 19時40分22秒 | 随想
昔、滋賀県に転勤になった。比叡山延暦寺の修験僧の修行の千日回峰行に注目し、法螺を吹く山伏に興味を持った。

過去を懐かしみ、徒然なるままにネットサーフィンで情報検索中に、虚無僧の記事に遭遇する。虚無僧は尺八を吹く。

和歌山県由良町の興国寺は白隠禅師に「紀に興国寺あり」と言わしめた名刹で尺八の名手・法燈国師が開山の、普化宗の虚無僧の本山でもあり、臨済禅の教科書「無門関」を紹介した禅僧である。風狂の一休宗純は風来坊の元祖で、その根底に「普化の禅」がある。

興国寺の現住職は山川宗玄禅師で、岐阜の美濃加茂正眼寺僧堂師家でもある。しばしばその講話を拝聴した。

曹洞宗大本山永平寺は福井県にある。近くの勝山市には地元出身の実業家、大阪の相互タクシーの創業者多田清が380億の資金で建立した越前大仏は観光寺院だったが、固定資産税の滞納の為、臨済宗妙心寺派の宗教法人となり、住職は山川宗玄禅師である。人間の活動の連鎖は奇想天外である。

モノを見せる観光寺院拝観料は、大人は3000円だったが、心を魅せる禅の道場の現在は500円の志で社会通念上の許容範囲である。

道元の曹洞宗も、栄西の臨済宗も、そのルーツは比叡山延暦寺の禅・密教・法華経・大乗戒にルーツがある。

山伏の吹く法螺貝、虚無僧の尺八の日本音階。西洋の音階のオクターブのド・レ・ミ・ソ・ラの尺八の五声。ファ・シは余分な無駄な音なのである。無駄に毒された日本人。

過剰な音色を捨て去った尺八の音色、法螺貝の音声に心を揺さぶられるなら、日本人に回帰できたのである。

「化粧するから美しくなるのではなくて余分なものを捨てるから美しくなるのです。座禅とは、何かを身につけることではなくて、どうでもいいものを捨ててゆくことだ。座禅して何を、どう捨てられたか?自己点検の尺度は、常に捨てることだ」

曹洞宗の青山俊董老尼の言葉である。おいらは65歳の日本人の退職の時、宗教家の言葉は心に染みる。風来坊の大法螺との批判の声が聞こえる。大袈裟な話になった。

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