風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

子供の遊戯と大人の修行 334号

2008年08月10日 10時50分17秒 | 随想
北京オリンピックの女子柔道48キロ級の谷亮子(32)がメダルを獲得した。戦わずに金メダルを失い、相手を投げ倒す一本勝ちで価値ある銅を手にした。

柔道は2面性がある。相手を倒す競技としての柔道、護身術としての柔道。相手との相対比較の一過性勝負の柔術。自分の心と戦う絶対比較の生涯続く人の道を究める柔道。

相手のある勝負は易行道の子供の遊戯で、見えない自分の心との戦いは難行道の大人の修行である。

嘉納治五郎が興した講道館は、柔道を手段として人間を磨く学校である。禅を手段として修養する仏教寺院と同じひとつの宗教の一面をあわせ持っている。寺が生活の為に墓守・法事に精を出す事と、オリンピックで金メダルを目指すことは同根で金儲けの営業活動である。

仏教には大僧正・僧正・僧都・律師の僧偕が有る様に、講道館柔道にも段位がある。修養年数と達成課題に合格すると段位を獲得できる。10段が最高位である。女子柔道の最速到達年齢は、6段が33歳、7段40歳、8段52歳で、32歳の谷亮子は現在5段なのかもしれない。

正力松太郎は柔道を愛し、警察官として活躍したが、戦後は読売巨人軍の生みの親となった。没後10段位を獲得した。柔道を極めると、世の為人の為に大きく貢献できるようである。

西洋科学物欲主義に毒されている日本社会は、北京オリンピックの金メダルを獲れなかった谷亮子を犯罪者の様に報道するが、日本の母親としては立派な存在である。人間としては優れていて、講道館柔道の女子で始めての10段位に叙せられる可能性を否定できない。

金メダル獲りの重圧の為の消極的戦いで自分に負けたが、無欲で大きな相手を美しく投げ飛ばした一本勝ちの柔道こそ本来の日本柔道である。銅メダルは金色に輝き、大きく見えるのである。そこには感動のドラマがあった。結果より内容が大切である。

子供の遊戯を卒業して、面舵一杯、取舵一杯、大人の修行に進路変更の時期が来ている。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。