
後期高齢者の仲間入りしてから仏教に対する興味が強くなったのは食欲・性欲・睡眠欲が衰退し、仏心が露出したのだろう。
NHKの「心の時代」で禅僧の話を視聴したり、菩提寺なのか檀那寺なのか両親の葬儀で世話になった住職の法要に2日連続で参列、話を聞いた。
親鸞様の浄土真宗は肉食妻帯の浄土門、厳格な聖道門の僧侶と違うのは、キリスト教の教職者牧師と聖職者神父の違いと同様なのだろう。
院主は僧侶に非ず、俗人に非ず、求道者なのだろう。
親鸞の著「教行信証」の弥陀・釈迦・七祖の教えを述べた正信念仏偈を読誦し、その提唱を拝聴した。
南無阿弥陀仏はインドの言葉を玄奘三蔵が漢文に音写しただけで、意訳すると帰命無量寿如来となる。
法蔵菩薩が世自在王仏の下で修業し、人の知恵を超え仏の智慧を感得し阿弥陀如来となられた。
人知は「悪人でも往生するなら、善人には当然の権利」であるが、仏智は「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」となる。
「遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃」人は物事を逆さまに見る事を止めれば仏になれるのだろう。「襟巻の暖かそうな黒坊主 こやつが法は天下一なり」
佛の教えは諸々あるが、仏様はたった一人の単身教なのだろうか。