風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

合掌造りの雪化粧 225号

2008年02月06日 15時16分53秒 | 紀行文
菅沼合掌造り集落は東海北陸自動車道の五箇山インターの近くである。庄川の小さな河岸段丘に九棟の家屋が雪に埋もれて保存され、住民が生活している。世界遺産条約に基づく世界遺産で、環境省の厳しい景観保存の管理下にある。住民でも、許可なく開発することが出来ない。住民の駐車場は地下に造られ、観光客の駐車場は山陰の高台にある。に降りる道はなく、エレベーターで降りるようになっている。

富山県の南西部、奥飛騨の峰々の豊富な清水を集め、深い渓谷を刻みながら砺波平野をへて、富山湾へそそぐ、庄川沿いにひっそりと佇む五箇山は、平村、上平村、利賀村の3村の地域の総称で、庄川沿いの5つの谷間、赤尾谷、上梨、下梨、小谷、利賀谷に集落があり、「五ヶ谷間」を音読して「ごかやま」と呼ぶようになったとされる。

遠い昔には、源平合戦に敗北した平氏の兵士の落人であることが、村の名に残っている。平氏は天皇家の末裔で、中国の宋との貿易で外国の科学知識を豊富に持った知識人の集団である。

産業は養蚕と和紙と火薬の原料である塩硝造りであつた。その為に家屋が巨大になり、雪深い山国であるから急勾配の屋根を持つ独特の合掌造りが考案された。

戦国時代には加賀100万石の領土であり、藩祖前田利家が、豊臣秀吉の長浜国友村の火縄銃の火薬の原料を製造したのが、五箇山の合掌造りの家であった。塩硝といわれ硝酸カリウムである。蚕から絹糸を得るために蚕を飼育する空間が合掌造りの二・三階である。大量に出る蚕の糞を一階の土間に穴を掘り、材料の稗殻・たばこ殻・蕎麦殻・麻の葉・ヨモギ・サク(きつねうど)ムラダチ(あぶらちゃん)などの雑草に水気のない畑土を混ぜて5年ほどの歳月を掛けて作る。

酸化剤の硝酸カリウムに可燃物の硫黄と木炭粉を混ぜたものが黒色火薬で火縄銃の弾丸発射に使われる。

建築学や火薬の科学知識や紙漉きの技術は、中国の宋と交易のあった平氏落人の遺伝子が可能にしたのだろう。そして貴族の精神がこきりこ節を育んだのは、越中八尾のおわら節に通ずる。感情を抑えた哀愁の音声と立居振る舞いは、平氏の悲惨な終末の遺伝子の発露なのかもしれない。こきりこ節の伴奏民族楽器がささらで、108枚の木片と両端のグリップを紐で結びつけた形状をしている。108は人間の煩悩の数で、五箇山は浄土真宗の盛んな土地柄でもある。

広域合併の推進で富山県の五箇山は南砺市に吸収された。五箇山の古老は合併が過疎化に拍車を掛けたと言う。村なら村長や議員の仕事があるし、若者に村役場の役人の仕事があるが、今は市の職員が数人派遣されるだけである。仕事の無い山村から若者は仕事を求めて都会に出て行く。山村から若者が消える悲しい現実がある。村組織でも経済的には電力会社のダムや発電所・送電鉄塔などの固定資産税で賄える様である。合掌集落は岐阜県の白川郷が有名である。高山市に合併しないで白川村として自立し、観光地としても人気がある。果たして大きくするのが良いことなのか。

中仙道の宿場町に馬籠宿と妻籠宿がある。白川郷と五箇山の関係に似ている。馬籠宿は長野県を離脱して岐阜県中津川に編入合併した。岐阜県の白川郷と馬籠宿は観光地として大発展している。岐阜県は観光事業が得意なのだろうか。しかし昔の古き良き日本の原風景を残しているのは、妻籠宿と五箇山合掌集落であると思う。そして平日の五箇山は訪問客が極めて少なく、これまた貸切状態で、足跡のない雪道が豊かに残されている。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。