七年に一度、六年毎の信州善光寺の前立本尊のご開帳の年である。
その門前町が故郷で、今は厭離穢土欣求浄土の旗印で徳川幕府の長期政権をになった家康誕生の三つ葉葵の岡崎城下に住んでいる。
仏教伝来と共に到来した阿弥陀如来をお祭りするが、日本仏教十三宗の何処にも属さない無宗派の寺、理由は宗派が成立するのは平安時代の最澄と空海で、奈良時代には無かった。
善光寺の本尊を見た人間がいない。それもそのはず、本田善光が浪花の堀で拾った仏像は方便で、善光が護った本尊は仏教だった。
従って形は無く、人様にお見せできない密教、凡人は顕教を望むから方便で前立本尊が現れた。
無色透明の光は多数の光から成立する。故に無宗派は大日如来の密教、浄土門の阿弥陀如来、聖道門の釈迦如来、拒む事は無い。
善光寺が多くの人間に愛されるのは、仏教を護持した本田善光を崇拝する善光神社の色彩が濃い、寺紋は本田家の立ち葵である。