仙台市郊外の秋保温泉に慈眼寺があり、塩沼亮潤住職がいらっしゃる。
奈良県南部の狩りに適した良い野の吉野に金峯山寺がある。役行者の修験道の本山で、仏教・密教・神道・陰陽道が融合した山岳宗教である。
本尊は金剛蔵王権現で釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒菩薩の過去・現在・未来が集合した仮のお姿である。脇侍は大日如来と不動明王である。人間の善に微笑む如来、悪に怒る明王、人間は善と悪を為す可能性を秘めている。
大峯千日回峰行がある。寺の蔵王堂(364m)から山上ヶ岳の大峰山寺(1718m)の往復48kmを16時間掛けて行ずる超人的な山伏の修行である。120日を9年間で千日になる。1300年の歴史で、わずか二人目の満行者が塩沼大阿闍梨で、曹洞宗管長を務めた板橋興宗元総持寺貫首が男に惚れた。最近読んだ「大峯千日回峰行・修験道の荒行」からの知識である。
比叡山延暦寺の相応和尚の千日回峰行が有名であるが、30kmの東塔無動寺谷の玉泉坊流、40kmの横川飯室谷の恵光坊流があり、昔々、オイラは異常な関心があった。長らく途絶えていた恵光坊流を復活したのが、酒井雄哉師である。そして塩沼師の修行動機が酒井大行満大阿闍梨だった。
悪戦苦闘の修行、最初は(過去の反省の)化け物や亡霊の魑魅魍魎が跋扈するが、やがて(未来の希望の)天女や仏様は現れるという。そして修行の終盤には、何も現れずただ素直・謙虚と一歩一歩を積み重ねる現実がある。
酒井権大僧正は「一日一生」と述べるが、一脈相通ずるのである。考えてもしがない事は考えず、今この時に為すべき事に集中することの大切さを教えられる。
松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ、山寺立石寺は相応和尚の師僧である慈覚大師円仁が開山で仙台の近くである。秋保温泉で湯浴みし、両寺を参拝する旅も悪くない。思いを巡らすと夢が雑草のように蔓延り、退屈しないのである。
奈良県南部の狩りに適した良い野の吉野に金峯山寺がある。役行者の修験道の本山で、仏教・密教・神道・陰陽道が融合した山岳宗教である。
本尊は金剛蔵王権現で釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒菩薩の過去・現在・未来が集合した仮のお姿である。脇侍は大日如来と不動明王である。人間の善に微笑む如来、悪に怒る明王、人間は善と悪を為す可能性を秘めている。
大峯千日回峰行がある。寺の蔵王堂(364m)から山上ヶ岳の大峰山寺(1718m)の往復48kmを16時間掛けて行ずる超人的な山伏の修行である。120日を9年間で千日になる。1300年の歴史で、わずか二人目の満行者が塩沼大阿闍梨で、曹洞宗管長を務めた板橋興宗元総持寺貫首が男に惚れた。最近読んだ「大峯千日回峰行・修験道の荒行」からの知識である。
比叡山延暦寺の相応和尚の千日回峰行が有名であるが、30kmの東塔無動寺谷の玉泉坊流、40kmの横川飯室谷の恵光坊流があり、昔々、オイラは異常な関心があった。長らく途絶えていた恵光坊流を復活したのが、酒井雄哉師である。そして塩沼師の修行動機が酒井大行満大阿闍梨だった。
悪戦苦闘の修行、最初は(過去の反省の)化け物や亡霊の魑魅魍魎が跋扈するが、やがて(未来の希望の)天女や仏様は現れるという。そして修行の終盤には、何も現れずただ素直・謙虚と一歩一歩を積み重ねる現実がある。
酒井権大僧正は「一日一生」と述べるが、一脈相通ずるのである。考えてもしがない事は考えず、今この時に為すべき事に集中することの大切さを教えられる。
松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ、山寺立石寺は相応和尚の師僧である慈覚大師円仁が開山で仙台の近くである。秋保温泉で湯浴みし、両寺を参拝する旅も悪くない。思いを巡らすと夢が雑草のように蔓延り、退屈しないのである。